瀬古口稲荷神社は、近鉄大阪線:名張駅から南西へ600m、名張川の
畔に鎮座されます。
鎮座地:三重県名張市瀬古口277
名張市の中心地から、名張川を越えます。
鳥居をくぐった左に手水舎。
平成十六年、式年御造営の石碑。
令和六年三月三十一日にも、式年御造営が行われており、その内容と
収支は公式HPで見る事が出来ます。
これまで参拝した、名張市に鎮座される神社には、全て式年御造営の
石碑が建立されていました。
瀬古口稲荷神社のHPでは、説明文も掲載されていますので、
転載します。
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今回の式年造営について
稲荷神社における「 ご造営 」は、二十年を周期として設定し、
整備の度合いや数量に応じて効果的に予算措置を施し、これまで長く
継承し、これを営んできました。
もちろん、その歴史の中には社殿などの新築を行う「 遷宮 」機会も
ありましたが、今回の造営整備事業では、本殿をはじめとする建物の
経年劣化の改修や、境内にある工作物の傷みの修復、樹木の倒伐採など
による境内全体の美観の維持などを中心として整備を行ったものであります。
この度のご造営において私たち氏子や神社関係者は、このお社を地域の
歴史的建造物、文化財としても末永く崇拝できうる神社として愛し、
その尊厳の意義をも継承していきたいと願い、取り組んでまいりました。
https://inarijinja.mie.jp/our-story/
修理が殆どですが、6800万円もかかっています。
神社建築は大金が必要と聞いてはいますが、20年で6800万円は大金ですね。
これから人口がどんどん減っていくので、どうやって賄っていくのだろう?
平成十六年一月一日に奉納された神狐。
昭和二十年に奉納された神狐。
平成十三年三月に奉納された狛犬。
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稲荷神社縁起
所在地 三重県名張市瀬古口字丁ノ坪二百二十七番地
祭神 宇迦能御魂神 ( ウカノミタマノカミ )
大物主命 ( オオモノヌシノミコト )
火之迦具土神 ( ホノカグツチノカミ )
由 緒
当神社創祀の年代は古伝によると今から四百有余年前稲荷大神が
山城国伏見より河内国大和国を巡り、伊賀国の当地に鎮座したと
伝えられている。
「 神社記 」 によれば慶長二年 ( 1597 ) 京都伏見稲荷大社より
御分霊勧請したとあり、五穀豊穣を守る祖神として人々の信仰の
中心となっている。
明治四十年の神社法改正により
大字中村五百刈 三輪神社
瀬古口順添 金刀比良神社 同愛宕谷 愛宕神社
三社に奉斎されていた神々が同年十二月九日ここに合祀され、今日に
至っている。
三輪神社は 「 神社記 」 によれば、人皇十代崇神天皇六十四年
大和国笠縫より市守宮に移って鎮座し、大物主命が祀られているとあり、
また天智天皇がここに行幸されたとの云い伝えが残っている。
秋の大祭には稲荷大明神と並んで三輪大明神に神饌を調進するを
例としている
金刀比良神社は大物主命を祭神とする社であった。
勧請年代は明らかでない。
愛宕神社は古伝によると安永四年 ( 1775 ) 城州愛宕山大権現を
勧請したとあり火之迦具土神が祀られていた。
稲荷神社 平成六年十二月吉日
( 境内説明文 )
本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
左から、古札納所、石碑の境内社、祇園社。
左から、御社名不明、庚申供養塔、山神、山神。
合祀記念碑。
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稲荷神社境内社縁起
祇園社 祭神 建速須佐之男神 ( タケハヤスサノヲノカミ )
由緒
当社は寛政年間に諸方に疫病が流行し、村民其の患いを恐れて
尾州津島明神に参詣して神札を受け、享和二年 ( 1802 ) 社を建立し
祇園と称したに始まり、参詣者多く、明治以前は旧暦六月七日より
十四日迄を祭日と定めていたが、其の後、八坂神社と改め祇園祭
として毎年七月十四日を祭日とし、近年になって祇園社として崇敬
され、今日に至っている。
山の神社 祭神 大山祇神 ( オオヤマヅミノカミ )
由緒
当地祭祀の起源は明らかではないが、往古より山の祭神として
崇敬されている。
川徳社 祭神 宇迦能御魂神 火之迦具土神 瀬織津姫命
由緒
当地字西に鎮座する宇迦之御魂神を主神として寛永年間に
諸災続きのため、山城国葛野郡愛宕社の火之迦具土神を御分霊勧請し
又往古より梁瀬の川べりに祀られてあった瀬織津姫命の二神を合祭し
河徳大明神として祀られていたが、近年になって境内社となり、
川徳社として祀られている。
稲荷神社 平成七年一月吉日
( 境内説明文 )
境内社からの眺め。
拝殿からの眺め。
神宮遥拝所。
以上。