川越市のマンホールに描かれた、川越市のマスコット 「 ときも 」 と
時の鐘。
川越市の花、山吹。
岸町熊野神社は、烏頭坂 ( うとうざか ) の丘の上に鎮座されます。
鎮座地:埼玉県川越市岸町2丁目21-5
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烏頭坂 市指定 史跡
旧川越街道を岸町から新宿町二丁目・富士見町へ上る坂道で、往時は
杉並木がありうっそうとしていた。
新河岸船運が盛んな頃は、荷揚げされた荷物を市内の問屋街に運ぶ
ときに必ず通らなければならず、難所として知られていた。
川越の地名として古くからあり、文明十八年 ( 1488 ) 頃、この地方を
遊歴した道興准后 ( どうこうじゅこう ) の 『 廻国雑記 』 に
うとふ坂 こえて苦しき 行末を やすかたとなく 鳥も音もかな
という歌がある。
( 説明文 )
参道の右に木曽御嶽塚があります。
富士塚のような形で木曽御嶽山が祀られています。
参道へ戻ります。
参道の左に稲荷神社が鎮座されます。
令和四年に奉納された神狐。
平成に造られた神狐よりも未来的なデザインです。
右に手水舎。
少し進んだ左に、コンクリ製の神楽殿。
拝殿の前には、なぜかタヌキが奉納されています。
図体とタマ袋は立派ですけど、おちんちんはお粗末。
まあ、立派だったら見る側として困りますが...
水盤の隣に小型のタヌキも置かれています。
その隣に、熊野大神の使いである八咫烏。
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岸町熊野神社
由緒
創立年月は定かでないが、新編武蔵野風土記稿によれば、当地は
宇戸澤村と称していた。
当社の創建は、岸村の開村の頃と伝えられ、元禄六年の
『 御検地御図帳 』 には 「 当社地の義任先規に除地せらる 」 と
記載されているところから、江戸時代の初期には既に奉斎されていた
ものと考えられる。
かつて当社は、南谷 ( 岸町三丁目 ) にあったが、明治十九年十二月
十一日に無格社稲荷神社を合祀の上、同社の境内であった現在地に
遷座した。
この稲荷神社は、三日月形をしている岸村 ( 岸町 ) 全体を見下ろす
高台に位置するところから、昔より 「 月見稲荷 」 と呼ばれ、
現在も本殿前に祀られている。
また、境内には諸神様、木曽御嶽塚が祀られている。
主祭神は伊弉諾尊、速玉男命、事解男命、天照大御神、武南方命
( たけみなかたのみこと ) で、内陣には本地熊野大権現像が
安置されている。本殿、拝殿は明治二十一年に造営されたものである。
祭事は元旦の元朝祭、三月十五日の月見稲荷の祭り、四月十四日の
春の大祭、七月十四日の天王様、十月十四日の秋の例大祭の年五回
である。
神仏分離以前の当社の別当であった曹洞宗月村山 長田寺がある。
この寺は江戸時代の書記に当地を知行していた長田金平氏が建立し、
みずからの姓を寺号としたと伝えられる寺である。
町名の変遷
江戸時代は宇戸澤村→岸村、 明治前期は岸村、
明治中、後期、大正前期は仙波村大字岸、
大正十一年十二月一日に川越市に編入されて大字岸となり、
昭和二十九年二月朔日に貴志町 ( 岸町 ) から現在の岸町一丁目、
二丁目、三丁目に分かれた。
令和三年元旦 岸町熊野神社崇敬会
( 境内説明文 )
熊野神社の奥に、様々な神が祀られています。
神々からの眺め。
熊野神社拝殿からの眺め。
以上。