西武新宿線:航空公園駅から南下しています。
歩道のパネル。
駅周辺のマンホールには、トコろんが描かれています。
仏製アンリ・ファルマン式複葉機3機とトコろん。
所沢神明神社は、航空公園駅から南へ400mの住宅街に鎮座されます。
鎮座地:所沢市宮本町1-2-4
参道の右に、人形を供養する姫殿があります。
スケールはかなり異なりますが、加太粟嶋神社みたいなお社です。
少し進んだ参道の右に蔵殿神社が鎮座されます。
--------------------------
摂社蔵殿神社 御祭神 崇神天皇
例祭日 九月二十一日
神明社第一の摂社で、地主神とも伝えられている。
江戸時代後期の火災によって旧記が失われてしまったため、創祀の年
などの詳しい由緒は不明であるが、明治維新以前には 「 従殿権現 」
「 十殿権現 」 ( じゅうどのごんげん ) と称されていたようである。
「 従殿 」 のほかに 「 重殿 」 「 尉殿 」 などの字で 「 ぞうどの 」
「 じょうどの 」 と訓む神社が西東京市やさいたま市にもあり、
水の神とも鍛冶に所縁のある神ともいわれているが、詳しい事は
判っていない。
なお、御祭神が詩人天皇と定められたのは明治維新以後のことである
が、その経緯・事情は伝えられていない。
( 境内説明文 )
左に手水舎。
花手水鉢。
--------------------------
当社は、日本武尊が東夷征伐( 紀元七七〇年 、西暦110年 )の
折り、此の地に立寄り、天照大御神様をお祀りし、勝利を祈願し、
そして見事平定を成就されました。
このご霊験灼かな大神様を、地の人達が引続きお祀りするように
なったものです。
( 境内説明文 )
記紀には書かれておりませんが、日本武尊は秩父まで遠征されて
おりますから、この辺りにも来られたのでしょう。
本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
左から、御大典記念碑、
煩宇斯 ( わずらいうし ) 神社、大国主神社、瘡守 ( かさもり ) 稲荷神社。
--------------------------
末社 煩宇斯神社 御祭神 煩宇斯命 ( わずらいうしのみこと )
煩宇斯命は、黄泉の国から戻った伊邪那岐命が祓をするために脱ぎ
捨てられた御衣から化生された神に坐す。
「 わずらひ 」 は物事に差しさわりがある・滞るという状態や病むこと
をもいい、その鎮静を乞うために 「 わずらひ 」 そのものを神格化
して祀るのである。
末社 瘡守稲荷神社 御祭神 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
寛政九年 ( 1797 ) に所沢村内の小沢利八なる者が疱瘡を病み、
倉稲魂命に平癒を祈ったところ霊験があったので、瘡守稲荷と称して
崇敬したのが起源であるという。
( 境内説明文 )
左から、水天宮、琴平神社、天神社、八雲神社。
左から、招魂社、鳥船神社。
鳥船神社にはプロペラが奉納されています。
--------------------------
鳥船神社 ( 別称 所沢航空神社 )
御祭神 鳥之石楠船神 ( とりのいわくすふねのかみ )
( = 天鳥船神 あめのとりふねのかみ )
例祭日 四月五日 ( 日本初 動力飛行の日 )
御祭神の鳥之石楠船神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の御子神で、
別名を天鳥船神と申し上げます。
高天原と豊葦原中国 ( 日本 ) との間の天空を鳥のように通う丈夫な
船に坐し、大国主神の国譲りに際して建御雷神に副えて遣わされ、
また、天孫降臨に先立つ饒速日命の天降りの際にも御乗船になった
と伝えられています。
このような御事績により、近代以降には航空の神としても崇敬されて
います。
当社は、この所沢の地に我国発の飛行場が造られ、徳川好敏
( よしとし ) 大尉による初飛行という快挙が成し遂げられた明治
四十四年から百年を迎えたのを記念して、平成二十三年十月に
創建されました。
我が国航空発祥の地に鎮り坐す、航空安全・交通安全の神社、
八百万の神々が鳥船に乗って降臨される神社、人々の願いを
鳥船に乗せて高天原にお伝え下さる神社です。
願いを込めた 「 折鶴 」 や 「 紙飛行機 」 をお供え下さい。
( 境内説明文 )
その奥に稲荷神社。
境内の眺め。
以上。