川越市のマンホールには、市のマスコット 「 ときも 」。
「 ときも 」 は 「 時の鐘 」を頭に載せた 「 さつまいも 」 ですが、
ヘルメットをかぶっているので 「 時の鐘 」 は見えません。
浮島稲荷神社の参道は、喜多院不動通り商店街に面しています。
喜多院から北東へ300mのところに鎮座されています。
鎮座地:埼玉県川越市久保町17
左に手水舎。
天保十一年に完成した丸太橋。
拝殿の前の神狐。
本殿の前にも神狐。
右の神狐は子狐をおんぶしています。珍しい。
本殿の中にも、神狐は置かれているようです。
左は頭に宝珠を乗せています。右は子を産んだ神狐だそうです。
祭神 倉稲魂命
--------------------------
浮島稲荷神社
地元の人々から 「 うきしま様 」 と呼ばれ、広く親しまれているこの
神社が、いつ頃建てられたのかは定かではない。
かつては末広稲荷とも呼ばれ、安産の神として麻を奉納する風習が
伝えられている。
言い伝えによれば、大昔、星野山 ( 今の喜多院 ) にあったのを、
慈覚大師が喜多院を開いたときにここに移したとか、また一説には
太田道灌の父太田道真 ( どうしん ) が川越城を築城した際に、城の
守護神としてこの地に祀ったとも伝えられている。
現在ある社殿は、大正四年 ( 1915 ) に改築したものである。
今では、この一帯もすっかり様子が変わってしまったが、以前は
「 七つ釜 」 といって、清水の湧き出る穴が七つおあり、一面葦の
生い茂った沼沢地であった。
そのため遠くから神社を眺めると、ちょうど嶋のように浮かんで見えた
浮島神社と呼ばれるようになったという。
また、伊勢物語を初めとして、昔からしばしば和歌に歌われた
「 三芳野の里 」 や 「 たのむの沢 」 は、この辺りを指すのだとも
いわれている。
昭和五十七年三月 川越市
( 境内説明文 )
境内には、伝説が掲げられていました。
--------------------------
伝説 「 片葉の葦 」
昔むかしのお話しです。
川越城に住んでいたお姫様が、戦に敗れ、夜、乳母に連れられ、
城を落ちのびました。
そして、城から少し離れた浮島稲荷神社 ( 当時の神社の裏一帯は
萱や葦が密生した 「 七つ釜 」 といわれる湿地台でした ) あたりに
逃げてきました。
その時、お姫様は誤って七つ釜の一つに落ちてしまいました。
乳母は敵から逃れる身であることも忘れ、大声で助けを求めますが
誰も助けに来てくれませんでした。
年をとった乳母の力ではお姫様をどうすることもできません。
お姫様は、ただもがくばかりでした。
そして近くの葦の葉にしがみつき、這い上がろうとしましたが、
葦の葉はもろくもちぎれ、お姫様は片葉をつかんだまま哀れな
最期を遂げたのでした。
その後、七つ釜あたりに生い茂る葦は、すべて片葉の葦になったと
いうことです。
( 境内説明文 )
--------------------------
伝説 「 人身御供 」
昔むかしのお話しです。
川越城築城の際、大田道真・道灌父子は、北・西・東・三方の水田が
泥深く、築城に必要な土塁を完成できず苦心をしていました。
そんな中、龍神が道真の夢枕に立ち
「 明朝一番早く汝のもとに参った者を人身御供に差し出せば
すみやかに成就する 」
と語りました。
道真は龍神に約祖kしたのですが、明朝一番早く現れたのは、最愛の
娘の世禰姫だったのです。
龍神約束したとはいえ、人身御供に娘を差し出すことができません。
しかし、姫はある夜、城の完成を祈りながら七つ釜の淵にみを投げて
しまったのです。
すると、川越城はまもなく完成したといいます。
( 境内説明文 )
拝殿からの眺め。
以上。