三芳野神社は、川越城本丸御殿の目の前に鎮座されます。
本丸御殿から眺めた三芳野神社。
鎮座地:埼玉県川越市郭町2丁目25-11
表参道に廻ります。
公孫樹並木の参道。
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三芳野神社 ( 市指定史跡 )
三芳野神社は、平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の
天神曲輪に建てられている。
この為、「 お城の天神さま 」 として親しまれている。
この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門を
とおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向う小道を
進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしていた。
この細い参道が、童唄 「 通りゃんせ 」 の歌詞の発生の地であると
いわれ、現在でも静かな環境を保持しており、伝説の豊かな地である。
なお、参道は、江戸時代より若干変化している。
平成十一年三月 川越市教育委員会
( 境内説明文 )
神奈川県小田原市南町の山角天神社、小田原市市国府津の菅原神社も
「 通りゃんせ 」 の舞台であると主張されています。
「 通りゃんせ 」 の歌詞は、現在の日本語で考えると奇妙な部分も
あり、呪術めいた説や恐怖めいた説などがあります。
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通りゃんせ
通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
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三笠宮家の彬子 ( あきこ ) 女王殿下が総裁をされている一般社団法人
「 心游舎 」 のHP に童謡解説の頁があり、太宰府天満宮権の
真木智也禰宜が 「 通りゃんせ 」 について記事を書かれていますので、
一部転載します。
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「 この子の七つのお祝いに 」
天神さまへお参りするという詩は、聞く者の心を和ませ、このわらベ唄が
親しまれてきた所以でしょう。
昔、数え年の七つは氏子入りといい、それまで幼児として親に甘えていた
ものが、村の氏神さまの氏子として登録され、「 子供組 」 に加わる年齢
でした。
女子は、帯解といってこれまで帯の代用にしていた付紐を取り去って、
初めて帯を用いる儀式を行って氏神さまに参拝しました。
このように七つの祝いは、子供たちがこれからは一人前の人間として社会
生活を始めることを氏神さまに報告したことを意味しています。
また、現在でも七歳というと読み書きを始める頃で学業の上達を一途に
祈る親心は、今も昔も変わらぬ信仰といえます。
ところで、この歌詞の中の 「 行きはよいよい、帰りはこわい 」 という
一節に違和感をもった方も多いと思います。
『 通りゃんせ 』 は、いわゆる自然わらベ唄といって誰が作ったというもの
ではなく、民衆の生活の中から生まれ、歌い継がれてきたものです。
この歌は、一名を 『 天神さま ( 参り )』 ともいい、関所あそびという
ジャンルに属しています。
江戸幕府の時代、箱根の関所は 「 入り鉄砲、出女 」 にきびしい目を
光らせ、厳重な警戒がなされていました。
手形を持っていない者は絶対に通しませんでしたが、父母の重病など、
何か特殊の事情をもった者だけは、関所の役人に哀訴して通してもらう
ことができました。しかし、帰りは絶対に許されなかったといいます。
昔は、
「 御用のないもの 」 のところが 「 手形のないもの 」、
「 この子の七つのお祝い 」 に 「 天神様に願かけて 」
とも歌われていました。
また、このメロディーで歌詞だけを聞いていますと、天神さまに参拝した
帰りには何やら恐いことでもあったのかと疑問視する方もいると思います。
しかし、このわらベ唄で、 「 帰りは恐い 」 の一節がなければ、
この遊びはいつまでも終らないのです。
つまり『 関所あそび 』という動作にわらベ唄( 歌詞 )が従ったもの
と考えます。
この一節が、遊びの主体をなす部分で、動作の必要上、創作された歌詞と
解し、深く考える必要はないように思います。
というのは、私たちが現在口ずさむメロディーは、本居長世が大正時代に
編曲して童謡としたものですが、地方によっては、遊戯は同じでも歌詞は
異なる場合が多々あります。
遊戯が里から里へ伝播していくうちに、それぞれの地域の中で土着化した
のです。
https://shinyusha.or.jp/column/20200814/
世界の民謡・童謡 HPで、 「 いきはよいよい 帰りはこわい 」 について、
面白い解釈がされておりましたので、一部を転載します。
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一説には、「 こわい 」 とは単に 「 疲れた 」 の意味の方言だと考える
見方もあるようだ。
行きはまだ元気で疲れていないし、散策が楽しみで気分も上がるから
「 よいよい 」 になる。
そして、見たい物も見終わって、歩き回って帰りは疲れるから「 こわい 」
となるということだ。
中略
「 よいよい 」 を別の意味に解釈すれば、全体として自然な解釈が
可能となるように思われる。
一体 「 よいよい 」 は、どんな意味で解釈できるのだろうか?
中略
「 よいよい 」 を方言としてネットで調べてみると、愛媛県の方言では
「 よいよい 」 を 「 大変 」、愛知県海部郡では 「 よいよのかい 」
を 「 やっとのことで 」 の意味で用いる方言があるという。
親子二人で徒歩で遠路はるばる、やっとのことで神社にたどり着き、
無事お参りを果たしたら、気が抜けてどっと疲れが出て、帰りは
疲労困憊。
それが 「 行きはよいよい 帰りはこわい 」 の一つの解釈なのかも
知れない。
https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/toryanse.htm
2つのHPの記事を読みますと、巷でささやかれる怪しい解釈は
正解ではないことはよくわかりました。
45年くらい前の漫才ブームのとき、「 ぼんち 」 だったと思いますが
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります
ちっと通して 下しゃんせ
歌が延々と続く、という「 通りゃんせ 」 のネタがありました。
真木智也禰宜が書かれた記事を読んで思い出しました。
「 通りゃんせ 」 で随分文字数を取ったため、続く。