川越氷川神社は、西武新宿線:本川越駅から北へ1.7㎞ほどの所に
鎮座されます。
鎮座地:埼玉県川越市宮下町2丁目11-3
御神額は 「 平成 」 を書かれた河東純一氏。
鳥居をくぐった右に手水舎。
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川越氷川神社は今から約千五百年前、古墳時代の欽明天皇二年に
創建されたと伝えられています。
室町時代の長禄元 ( 1457 ) 年、太田道真・道灌父子によって
川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として
歴代城主により篤く崇敬されました。
江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より社殿の造営や特別の
計らいを受けました。
現在の本殿には緻密な彫刻が施されており、県の重要文化財と
なっています。
また、昔より縁結びの神様としての信仰を集め、人々のご縁を
取り持ってまいりましたのは、お祀りしている五柱の神様
( ご祭神 ) にあります。
川越氷川神社には五柱の神々がおまつりされています。
主祭神は素盞嗚尊 ( すさのおのみこと )。
ほかに、脚摩乳命 ( あしなづちのみこと ) と 手摩乳命
( てなづちのみこと ) の夫婦神様。
さらにその娘であり、素盞嗚尊の妃神でもある奇稲田姫命
( くしいなだひめのみこと )。
そして、素盞嗚尊と奇稲田姫命のご子孫ともお子様とも
いわれ、また出雲大社の縁結びの神様としても知られる
大己貴命 ( おおなむちのみこと ) の五柱の神様です。
これらの神々はご家族であることから、川越氷川神社は
「 家族円満の神さま 」、また、ご祭神に二組の
ご夫婦神様が含まれていることから、
「夫婦円満・縁結びの神様」として信仰されています。
https://www.kawagoehikawa.jp/#/shoukai/
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氷川神社本殿
川越の総鎮守である氷川神社の歴史は古く、その創建は
欽明天皇の即位二年 ( 540年 ) 九月十五日武蔵国足立郡
氷川神社を分祀奉斎したと伝える。
祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命・脚摩乳命・
手摩乳命の五柱という。
長禄元年太田道真・道灌が川越城を築城するにおよび、
道灌は当社を厚く崇敬し、
老いらくの 身をつみてこそ
武蔵野の 草にいつまで 残る白雪
との和歌を奉納している。
江戸時代においても、川越城主代々の崇敬篤く、毎年
元旦には奉幣の儀が行われ、社家は登城城主目通りの上
年賀を言上している。
本殿は、川越城主松平斉典を筆頭として、同社氏子の
寄進によって天保十三年( 1842年 )に起工され
五ヶ年の歳月を要して、建立されたものである。
間口十三尺五寸( 4.08m )・奥行八尺二寸( 2.48m )
の三間社・入母屋造で前面に千鳥破風及び軒唐破風の
向拝を付した銅瓦ぶきの小建築であるが、彫刻が素晴らしく
当代の名工嶋村源蔵と飯田岩次郎が技を競っている。
構造材の見え掛りは50種におよぶ地彫が施され、その間
江戸彫と称す精巧な彫刻を充填し、十ヶ町の山車から取材
した彫刻や、浮世絵の影響をうけた波は豪壮華麗である。
川越市教育委員会
( 境内説明文 )
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川越氷川神社祭の山車
612
613
毎年10月の氷川神社神幸祭に合わせて行われる祭礼行事
である。
神輿を中心とする神幸祭の行列が氏子町内を巡行し、
各町内の山車が供奉する。
山車は幕や人形で絢爛豪華に飾り立てられ、お囃子と舞を
披露する。
山車の曳行は2日間にわたって行われ、他の山車と行き合う
と、お互いの山車を向け合い祭り囃子を競演する
「 曳っかわせ 」 が行われ、祭りを盛り上げる。
本来の祭礼日は10月14・15日で、14日が例大祭、15日が
神幸祭である。
この行事の始まりは、江戸時代初期にさかのぼる。
慶安元年 ( 1648 )、川越城主であった松平信綱が城下町の
鎮守である氷川神社に神輿や獅子頭などを寄進し、祭りを
行うように命じた。
これにより、慶安四年( 1651 )から神輿が巡行する祭り
( 神幸祭 ) となった。
この神輿の巡行に合わせて、町人が住む十ヶ町 ( 喜多町
・高澤町・本町・南町・江戸町・志多町・鍛冶町・志義町
・上松江町 ) が、踊り屋台などの練り物でお供をするように
なった。
江戸への物流拠点として繁栄した川越には、江戸から様々な
文化が入り、祭りも江戸の天下祭( 山王祭と神田祭 )の影響
を強く受けて発展した。
現在みられる形の山車が川越で曳かれるようになったのは
江戸時代末期のことで、前方に囃子台、後方に鉾と呼ばれる
部分を持ち、鉾の上に舞楽や能、神話や歴史の登場人物の
人形が乗せられている。
鉾は上下段に分かれ、上段の鉾を下げて電線などの障害物を
避けることができる。
元々は江戸城の城門をくぐるための仕組みとされている。
また、各町会所の囃子農法や曳っかわせに、山車の向きを
変えずに囃子台だけを相手に向ける回り舞台の仕組みを持つ
山車も多い。
山車は各町で所有しており、山車の組み立てや飾り付けなど
の祭りの準備も町内で協力して行われている。
祭りの当日は、宰領( 運行責任者 )の指示のもと山車が
曳き出され、金棒を持った露払いを先頭に、手古舞姿の
子どもたちや山車の曳きてが続く。
他町内に山車が入るときは先触れがあいさつに行く。
現在は、全市的なまつり 「 川越まつり 」 としても発展し、
10月第3土・日曜日(14日が土曜日の場合は14・15日)に
開催されている。
山車や曳山、屋台が巡行して地域社会の安泰や災厄除けを
祈願する「 山・鉾・屋台行事 」 の1つであり、日本の
都市祭礼の変遷を知る上でも重要な行事である。
平成十七年二月二十一日 国重要無形民俗文化財指定
平成二十八年十一月三十日 ユネスコ無形文化遺産登録
昭和五十四年三月 埼玉県教育委員会 川越市教育委員会
( 境内説明文 )
拝殿に向かって左に八坂神社が鎮座されます。
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八坂神社社殿
八坂神社社殿は寛永十四年 ( 1637 ) に江戸城二の丸の
東照宮として建立されたが、後に空宮となったので明暦二年
( 1656 ) 川越城内三芳野神社の外宮として移築された。
さらに明治五年 ( 1872 ) 現氷川神社の境内に移され
八坂神社社殿となった。
この社殿平面は凸字型であって、屋根は銅版本葺入母屋造、
建坪六坪八合 ( 22.48㎡ )、拝殿の部分は桁行二間、
梁間三間と細長く突出た平面である。
建立の当初は相当の規模であったものを明暦の移築の際
縮小したものとおもわれる。
内陣格天井の天井板にある草花の絵は江戸初期のものであり、
各斗栱などよく当初の木割を示している。
江戸城内の宗教的建造物の遺構としては、全国唯一のもの
として、その歴史的価値が高く評価されている。
昭和五十四年三月 埼玉県教育委員会 川越市教育委員会
( 境内説明文 )
神楽殿。
続く。