本堂へ向かう階段に、おお、ここに!という感じで仁王像があります。

 

    

 

仁王像を眺めながら、なんで楼門に風神雷神が?という気持ちを新たに

しつつ本堂へ。

 

 

 

 

 

高麗山聖天院勝楽寺

本尊   不動明王

宗派   真言宗智山派

 

--------------------------

 

聖天院の由来

 

続日本紀によれば、今から1,300年前高句麗滅亡によってわが国に

渡来した高句麗人のうち甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野

7ヶ国の高句麗人1,799人を716年 ( 霊亀2年 ) に武蔵国に移し、

高麗郡を置きました。

 

現在の日高市は、高麗郡の中心をなした地域と考えられ、1,889年

( 明治29年 ) まで高麗郡でした。

高麗王若光は高麗郡の長として、広野を開き産業を興し民生を安定し

大いに治績を治めました。

 

勝楽寺は若光が亡くなったあと、侍念僧勝楽が若光の菩提を祈る為に

751年 ( 天平勝宝3年 ) に建立しました。

若光の三男聖雲と孫の弘仁が勝楽の遺志を継ぎ、若光の守護仏聖天像

( 歓喜天 ) を本尊としました。

 

その後開山以来の法相宗を真言宗に改め、1,580年 ( 天正8年 ) には

本尊を不動明王にしました。

当代までに実に1,250年間絶えることなく継承されています。

 

2000年 ( 平成12年 ) には、山腹に新本堂を建立し、同時期に

在日韓民族無縁の慰霊塔を建立されました。

 

平成14年5月 日高市

                         ( 境内説明文 )

 

 

 

--------------------------

 

木造不動明王及び両脇侍像 ( 市指定文化財 )

 

聖天院の本尊で、像内に納入されていた8件11点の銘札等には、

天正八年 ( 1580 ) に鎌倉仏師の大蔵法眼によって造立し、寛永元年

( 1624 ) に両脇侍像を新造させて三尊一具にしたことが記されて

います。

 

不動明王の腹内に弘法大師の作と伝わる二寸五分の不動立像が

納められています。

左側に矜羯羅童子 ( こんがらどうじ )、

右側に制咜迦童子 ( せいたかどうじ ) が配されています。

 

                       ( 境内説明文 )

 

 

 

 

 

本堂からの眺め。

 

 

 

本堂の後方に、石灰岩でできた雪山があります。

お寺をつくるときに、現れてきたそうです。

 

 

本堂に向って左、上に鐘楼。

 

 

 

--------------------------

 

聖天院元禄四年銅鐘 ( 市指定文化財 )

 

元禄四年 ( 1691 ) に勝楽寺第三十三代法印賢海上人が、江戸神田

の鋳工小沼播磨守藤原正永に造らせました。

総高101.5㎝、口径77.5㎝をはかります。

 

                       ( 境内説明文 )

 

鐘楼の横に、高麗王若光像があります。

 

 

 

鐘楼からの眺め。

 

 

 

 

 

 

以上。