野々宮神社は、JR八高線:高麗川から西へ1㎞。
畑の中に鎮座されます。
鎮座地:日高市野々宮146
高麗川神社から北上。
左に手水舎。
手水舎の隣りに力石が置かれています。
よく目にする力石の2~3倍くらいあります。
右に土俵。
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野々宮神社奉納相撲場付 ( つけたり ) 関係資料
市指定有形民俗文化財 平成二年三月指定
拝殿前の6m四方、高さ45㎝の土壇の上には、天保二年 ( 1831 ) に
土俵古実作法に則り江戸相撲歳寄行事兼 木村庄之助正武が築いた
土俵が保存状態も良く残っています。
この土俵では奉納相撲が行われていました。
その他に、「 嘉永二己酉年 ( 1849 ) 林鐘十有一日 於当社興行 」
と記されている相撲番付が保存されています。
土俵、番付漂2枚、古文書2通、力石3個が相撲関係資料として指定
されています。
令和五年九月 日高市
( 境内説明文 )
2~3倍も大きい力石は、力士が担いだものなのですかね?
日高市掲示による野々宮神社の由緒
野々宮神社は、祭神に天照大神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命を
祀っている。
創立年代は不詳であるが、社家の古文書によると大宝三年 ( 703 )
社殿修築という記述があって、口碑、伝説などがら推察するとかなり
の古社と考えられる。
慶安二年 ( 1649 ) 徳川家光から賜わった社領4石5斗の安堵状
なども保存されている。
野々宮神社は関東地方では珍しく、狭山市に一社あるほかは近隣には
ない。
祭神や高麗川のほとりにあることや、拝殿内の絵馬に、奉献
「 太祓一万度 」 とあるところなどから、潔斎の宮・お祓いの神であり、
京都嵯峨か紫野の野宮の分祠と考えられる。
例大祭は、毎年十月九日で、この際奉納される獅子舞は近隣のものに
比へて勇壮で美しく、特に蛇をのむくだりは、他に例を見ないものである。
昭和五十七年三月 日高市
( 境内説明文 )
日高市掲示による野々宮神社の由緒
野々宮神社の創建は定かではないが、大宝三年 ( 703 ) に社殿を
建築した伝承がある古社です。
祭神に天照大神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命を祀っています。
高麗川の川辺に鎮座し 「 祓 ( はらえ ) の社 」 といわれています。
当社は伊勢神宮に仕える斎王に選ばれた皇女、女王が身を清めるため
1年間こもった嵯峨の野宮神社の分社であると考えられています。
また社蔵文書には 「 当社高麗王の尊霊を祀る 」 との記述がみられる
ことから高麗郡の設置や高麗王若光との関係がうかがわれます。
令和五年九月 日高市
( 境内説明文 )
拝殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
左:疱瘡神、右:雷神神。
本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
左:大山祇神、右:特潜神社。
本殿の後方の林の中に、点々と境内社が鎮座されます。
東照宮。
参道はあります。
大山祇神。
祇園社。
林から離れたところに鎮座される天神社。
天神社から眺める林。
再び林に戻って、琴平宮。
稲荷大神。
拝殿からの眺め。
以上。