両国駅近く、JRの高架下は神輿庫になっています。
両国国技館。
両国国技館の敷地内に、2つの神社が鎮座されており、参拝する
つもりで来たのですが、朝早くて入れませんでした。
国技館前に、俵星玄蕃の説明板がありました。
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俵星玄蕃の道場跡
宝蔵院流の槍の名手、俵星玄蕃は忠臣蔵に登場する架空の人物で、
彼の道場は、本所横綱町のこの辺りにあったとされています。
上杉の家老・」千坂兵部が250石の高禄で吉良家に召し抱えようと
しますが、赤穂浪士の世を忍ぶ苦心に同情を寄せた玄蕃はこれを
断りました。
屋台の夜なき蕎麦屋 「 当たり屋十助 」 に姿を変えて吉良邸を
探っていた赤穂浪士・杉野十平次の前で、
「 のう、そば屋、御前には用の無いことじゃが、まさかの時に
役に立つかも知れぬぞ、見ておくが良い。」
と槍の技を披露しました。
討ち入り当夜、助太刀に駆けつけると杉野に会い、たいへん驚き、
吉良邸外の守りを固め、本懐成就に協力したとされます。
( 説明文 )
俵星玄蕃の道場がこの辺りにあった、という設定でした。
JR両国駅。
両国駅は大江戸線と接続しており、大江戸線に近い改札口を
使うので、こちら側はまじまじと見た事がありませんでした。
榛稲荷神社は、JR両国駅から東へ200m。
「 ひがしん ( 東京東信用金庫 ) 」 の向いに鎮座されます。
鎮座地:東京都墨田区両国四丁目34番11号
私が小さい頃、国技館は蔵前にありました。
NHKの解説の親方たちが、両国に建てるのが悲願、という話をよく
されていました。
今の国技館が出来たのは昭和六十年 ( 1985 )。
その頃、両国界隈はきれいではなく、ガラもよいわけではなく、
何故ここに国技館を建てるのが悲願だったのか?と思った。
それが今は、随分きれいで清潔になりました。
これから、どんどんきれいになっていくでしょうね。
鳥居前に榛 ( はえのき ) 馬場跡の説明板があります。
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榛馬場跡
この辺りには、榛 ( はえのき ) 馬場と呼ばれた馬場がありました。
本所に住む武士の弓馬の稽古のために設けられ、周りを囲む土手に
大きな榛 ( かばのき科の落葉高木 ) があったところから、そう呼ばれた
ようです。
勝海舟の父小吉の著書 『 夢酔独言 ( しすいどくげん ) 』 の中にも、
子供のころの回想 として、榛馬場のことが出ています。
馬場の傍らに祀られていたのが、この榛稲荷神社です。、
天保八年 ( 1837 ) に亀沢町の若者が奉納した木造朱塗の奉紙立
( こうだす ) が、震災、戦災を逃れて今でも保存されています。
葛飾北斎も娘のお栄と一緒に稲荷神社脇に住んでいたことがあります。
奉紙立=正式の食事の時、膳の盛り物の周囲に、紙をさまざまな形に
折って立てる器。
( 境内説明文 )
鳥居をくぐった所には、葛飾北斎住居跡の説明板がありました。
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葛飾北斎住居跡 所在地 墨田区両国四丁目三十四番付近
この辺りには、江戸時代に武士が馬術を訓練するための馬場が設け
られていました。
東西約185m、南北約22mの広さがあり、馬場を囲む土手に大きな
榛 ( はんのき ) があったので 「 榛馬場 」 と呼ばれていました。
馬場に祀られていたのが 「 榛稲荷神社 」 です。
本所 ( 現在の墨田区南部 ) に生まれた絵師葛飾北斎は、この
稲荷神社のすぐ近くに住んでいたことがありました。
北斎は90歳で没するまで常に新しい技法を試み 「 降楽三十六景 」
に代表される錦絵だけではなく、肉筆画も手がけ、数多くの作品を
生み出しました。
榛馬場の辺りに住んでいた当時の様子を伝えるのが、「 北斎仮宅
写生 」( 露木為一 つゆきいいつ 筆 ) です。
絵を描く老いた北斎と娘の阿栄 ( おえい ) が描かれています。
阿栄も優れた絵師でした。 その暮らしぶりを飯島虚心は
「 蜜柑箱を少しく高く釘づけになして、中には、日蓮の像を安置せり。
火鉢の傍には、佐倉済の俵、土産物の桜餅の籠、鮓の竹の皮など
取りちらし、物置と掃き溜めと、一様なるが如し。」( 葛飾北斎伝 )
と記しています。
北斎がこの地に暮らしたのは天保末年頃 ( 1840頃 ) で、80歳を
越えていたと思われますが、絵を描くこと以外は気にも留めないような
暮らしぶりが見てとれます。
北斎は生涯で90回以上も転居を繰り返したとされていますが、居所
のすべてが正確にわかっているわけではありません。
榛馬場の北斎住居跡は、ある程度場所が特定でき、絵画資料も伴う
ものとして貴重な例です。
また、幕末明治期に活躍した政治家勝海舟もこの近くで生まれ育ち
ました。
海舟の父小吉の自伝『 夢酔独言 ( しすいどくげん )』の中にも、
榛稲荷神社についての思い出が記されています。
平成二十一年三月 墨田区教育委員会
( 境内説明文 )
左に神輿庫。
右に手水鉢。
社殿には、馬が描かれた瓦が吊るされています。
馬の置物。
榛馬場跡地だからなのでしょうね。
社殿からの眺め。
「 ひがしん 」 の壁に、北斎。
以上。