道の両側に、山神が祀られていました。
暫く歩くと、四つ角に、対面の形で祀られた山神。
明和町は伊勢湾を臨む平野で、一番近い山は5㎞ほど西に在ります。
岡山県史 ( 第六章 民間信仰と修験道、第六節 山の神 ) によれば、
山之神と田の神が時を定めて交替するという信仰は全国的にある、
ということでした。
山の神は冬は山に居り、春のなると里に降りて稲作を助けて戴ける、
というものです。
南九州の 「 田の神さあ 」 や名古屋市北区に鎮座される山神の説明文
は同様でした。
明和町の道筋に祀られている山神も、田の神という一面が信仰となって
いるのでしょうね。
大庭 ( おおば ) 神社は、近鉄山田線:斎宮駅から北へ3㎞、田の中に
鎮座されます。
鎮座地:三重県多気郡明和町大字佐田 611
伊勢神宮 佐佐木行忠大宮司の揮毫。
右に手水舎。
手水舎の横に鶏の石像があります。
日露戦争の砲弾が両側に置かれています。
大楠が別の木を覆っています。
拝殿に向かって右に石が置かれています。これは陽石ですかね?
本殿は神明造。
三重県神社庁HPの記事を転載します。
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主祭神 《主》佐田大神 ( さだのおおかみ )
由緒
「 神社明細帳 」 に当社は従来大庭八王子と唱えしを明治5年に
八王子の号を廃して大庭神社と改称す、大庭は饗庭の…訛言せしなり。
本郡内井内村の西に饗庭あり。
…続日本紀に天平7年8月勅して曰く頃日疫死する者多し。
諸国の守若くわ介に専を齊戒道饗の祭祀せよとあるを始めとして
…道饗の祭場を饗庭と号す。
…道饗神の疫神と称するに依り陰陽家の祭る疫神に混じ八王子と訛伝し
来たれり。
…道饗の旧祭場たるを証すべし
「 姓氏録 」 に佐太公は豊城入彦命の11世の孫なりとある。
されば佐太公の子孫社、村を開き佐田村と称し祖先を饗庭に祀りて
社号としたる。
道饗とは昔、陰暦6月・12月、京都の四隅に八衢比売 ( やちまたひめ )
・八衢比古 ( やちまたひこ )・久那斗 ( くなど ) の三神をまつって、
路上で怪物・妖物を饗応し、都にはいるのを防ぐために行なった祭事。
ちあえのまつり。
本殿:神明造り0.65間に0.55間 拝殿:瓦葺2間に1間半
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63380
拝殿に向かって右に今上天皇の御即位記念樹が植えられています。
こちらの文言も非礼ですので一部を加工 ( 消去 ) しました。
遥拝所の奥に境内社が鎮座されます。
拝殿からの眺め。
以上。