飯野高宮神山 ( いいのたかみやこうやま ) 神社は、JR紀勢線:多気駅
から北へ1㎞のところに鎮座されます。
近鉄山田線:櫛田駅から櫛田川沿いに2㎞ほど南下したところです。
多気駅からは櫛田川を渡らなければならないのですが、神社の東にある
取水堰を通る事が出来ます。( 徒歩のみ )
鳥居をくぐった左に手水舎。
手水鉢は、享保十八年 ( 1733 ) が旱魃だったので、大雨を祈願して奉献
したものだそうです。
参道の途中に踏切があり、その前に、左右確認の注意喚起。
その後方に山神が鎮座されます。
踏切を渡った左に手水舎、右に御神木。
御神木は安産の神が祀られています。御祭神は不明。
手水舎の隣りに、まなこ乃神が祀られています。
この3つ穴が開いている石が御神体なのですかね?
『倭姫命世紀』によれば、垂仁天皇二十五年、伊蘓宮 ( いそのみや )に
天照大神を祀った倭姫命は、更に良い所を探しに寒川を遡ります。
上流で船を降り、西に向かうと大川 ( 宮川 ) に出ましたが、流れが速くて
渡れませんでした。
その時に真奈胡神 ( まなこのかみ ) が現れ、浅瀬を案内して着いた
多岐原 ( たきはら ) に天照大神を祀りました。
元伊勢飯野高宮の論社でもあります。
お伊勢さんニュース 第一号 ( 令和五年七月五日 ) の 「 倭姫の巡行 」より。
19 伊勢の飯野の高宮
( 松坂市山添町、神山 ( こうやま ) 神社あたりか )
21 伊勢の伊蘓 ( いそ ) の宮
( 伊勢市伊蘇町、伊蘇神社か )
22 伊勢の瀧原の宮
( 度会郡大紀町滝原、瀧原宮 )
多岐原神社は、式内社、神宮125社、元伊勢でもあり、真奈胡神が
祀られています。
安産の神の後方には、巨石が置かれていました。
何なのか不明です。
拝殿へ。
式内社 神山神社 伊勢国 飯野郡鎮座
現社名 飯野高宮神山神社
旧社格 郷社
--------------------------
飯野高宮神山神社
ご祭神 猿田彦命
天鈿女命
このお宮は訳2000年前、皇居でお祭りしていた天照大御神を、
日本で最も良いところに祭ろうと、皇女の倭姫命が各地をめぐられた時に
この地を選ばれて4年間お祭りされていた飯野高宮です。
のちに伊勢の皇大神宮 ( 内宮 ) へお移しされたがそのご案内役が
ご祭神の子孫でした。
猿田彦命は私たちすべて善い方にみちびき守ってくださる神様です。
また天鈿女命は天の岩戸の前で舞をした芸能の神様でもあります。
( 境内説明文 )
まなこ乃神は、 猿田彦命・天鈿女命の子孫だったのですね。
知りませんでした。 「 導き 」 の家系だったのですね。
三重県神社庁 教化委員会 HP の記事を転載します。
--------------------------
飯野高宮神山神社
神紋 :左三巴
社殿 :本殿(神明造)、拝殿、御供殿、社務所、祭器庫、手水舎
境外神社:須賀神社(須佐之男命、天忍穂耳命)、
宇気比神社(天忍穂耳命)、
須賀神社(素戔鳴尊)、
豊原神社(大蔵命、大彦命)、
清水神社(水靈神、埴安神他)
氏子:57戸、山添町 崇敬者:若干名
由 緒
当社は古来天照大神の行宮である飯野高宮として尊崇を集め、
山添大明神、白髭大明神、御鑰明神、神山神社等と称されてきた。
『 倭姫命世紀 』 によれば、垂仁天皇22年、倭姫命が天照大神の
宮処を求めて阿佐加の藤方片樋宮より飯野の高宮に移られ、そこで
4年間天照大神を奉斎されたことが記されており、当社の創始は
悠久の昔に遡るものと思われる。
また 『 延喜式神名帳 』 飯野郡4座中に登載される 「 神山神社 」
にも比定される。
当社の合祀の歴史については、明治40年1月28日に山添の
三玉神社を合祀し、さらに明治41年2月11日には安楽の須賀神社
ほか22社を合祀した。
しかし昭和8年櫛田に櫛田神社、昭和28年清水に清水神社、
昭和30年安楽に須賀神社、山下に字気比神社、伊賀に須賀神社、
豊原に豊原神社を分祀し、櫛田神社を除いて、飛び地境内社として
現在に至っている。
平成元年9月に神山神社から現社名に変更された。
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e9%a3%af%e9%87%8e%e9%ab%98%e5%ae%ae%e7%a5%9e%e5%b1%b1%e7%a5%9e%e7%a4%be/
本殿に向かって右に、猿木神社跡。
猿木神社の御祭神は不明。
境内社は鎮座されておりません。
拝殿からの眺め。
以上。