駅名は宇治山田 ( うじやまだ ) なのですが、御社名は ( うじようだ )。

宇治山田神社は、近鉄鳥羽線:五十鈴川駅から南へ1㎞のところに鎮座

されます。

 

赤マーク 宇治山田神社

青マーク 上田神社

 

 

 

 

 

 

 

参道は石が埋め込まれています。

 

 

 

 

 

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宇治山田神社 ( うじようだじんじゃ ) 皇大神宮摂社

山田姫命 ( ようだひめのみこと )

 

祭神は水の神、山田姫命。

ご鎮座地の丘陵は 「 興玉森 ( おきたまのもり )」 と呼ばれている。

 

末社の那自賣神社 ( なじめじんじゃ )

祭神は大水上御祖命 ( おおみなかみのみおやのみこと )

   御裳乃須蘇比賣命 ( みものすそひめのみこと ) 

五十鈴川の川水の守り神と伝えられる。

https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m03/0307.html

 

社殿からの眺め。

 

 

 

月読宮へ向かう途中、白い鳥居が目につきましたので、参拝することに

しました。

 

 

 

鳥居に向かって左に白い手水舎。

 

 

 

 

 

幣殿も本殿も白い。

 

 

 

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御祭神 素戔嗚尊  ( すさのおのみこと )

    大山祇命  ( おおやまつみのみこと )

    菅原道真公 ( すがわらのみちざねこう )

 

上田神社の歴史

 

当社の旧名は、八王子社と称しましたが、明治三年 ( 1870 ) 地名を

取って上田神社と改めました。

 

鎌倉時代の建久三年 ( 1192 ) 内宮の神主によって記された

『 皇大神宮年中行事 』 によると、

  二月十一日、八王子祭り、黄葉 ( おうば ) 遊びを今日の吉日を

  選んでお勤めする。

  お祭りの後、お神楽三番を拝見し、天神社に参拝してから、内宮へ

  帰った。

とあります。

 

室町時代に入ると、戦乱などでお祭りが不順となりますが、当仲村に住む

同族の禰宜によりお祭りは続き、江戸時代に入ると禰宜の参向も徐々に

なくなり、二月例祭のみ、内宮神楽役人等がお祭りに奉仕し、明治維新後

は祠掌 ( ししょう、神官 ) が置かれ、祭典を執行しました。

 

記録に残る御造営 ( 神選 ) は、慶長十一年 ( 1606 ) 以来、

明治三十九年 ( 1906 ) まで、二十年に一度の式年制を護り続けましたが

同四十一年、神社合祀令によって四郷 ( しごう ) 神社へ合祀。

 

その後、分祀となり、昭和二十九年 ( 1954 ) 現在地に再興し、近くは

平成二十六年 ( 2014 ) 十一月に、ご遷座が行われました。

 

                          ( 参拝の栞 )

 

拝殿には絵馬が納められています。

 

 

 

 

 

 

 

拝殿に向かって左に石神が鎮座されます。

 

 

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中村の地域には、多くの石神さんがお祭りされ、信仰されてきましたが、

明治八年 ( 1875 ) 神々は上田神社境内へお移しし、寄せ神さんとも

呼ばれ、丁重にお祭りされております。

 

                          ( 参拝の栞 )

 

拝殿に向かって右側は、次回遷座される場所で、社殿は仮殿です。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

正面には宇治山田神社の杜が見えます。

 

 

以上。