内宮前の駐車場、向かって右に宇治橋があります。

駐車場の後方の杜の中に、摂末社が鎮座されます。

 

 

この杜の中に、旧林崎文庫もあります。

 

 

 

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史跡 旧林崎文庫

 

塔文庫は外宮の豊宮崎文庫と共に我が国調査建久図書館の先駆をなす

ものであり、貞享三年 ( 1686 ) 宇治会合所の大年寄等が山田奉行

岡部勝重に請い、幕府の下賜金を得て、翌年丸山に内宮文庫を建設した

のに創まる。

 

然るにこの地湿潤の故に元禄三年 ( 1690 ) 北隣の林崎に移し林崎文庫

と改称する。

天明二年 ( 1782 ) 荒木田尚賢等が講堂・塾舎を増築する。

文政四年 ( 1821 ) 後方の高地に再建して石階を築き、同六年に移転し

今日に至る。

 

この間、林信篤・伊藤東涯・竹内式部等の碩学大儒が書を講じ、或いは

水戸光圀・大塩平八郎・村井敬義等の諸侯・学者が著述や蔵書を寄進し、

その蔵書は、11,978冊に及ぶ。

 

明治六年 ( 1873 ) 土地・建物・図書一切を神宮に納める。

同三十九年神宮文庫の開設により全蔵書を同文庫に移管する。

昭和二十九年 ( 1954 ) 国史跡に指定される。

 

                           ( 説明文 )

 

公開は春と秋の神楽祭の時の各三日間。

四月二十八日~三十日、 九月二十二日~二十四日です。

 

すぐ隣に大水神社が鎮座されます。

 

 

巨大な大楠。

 

 

 

左の奥に、林崎文庫の塀があります。

 

 

 

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大水神社 ( おおみずじんじゃ ) 皇大神宮摂社

大山祇御祖命 ( おおやまづみのみおやのみこと )

 

祭神は五十鈴川辺の山の神。

楠の大樹が社殿をおおい、森厳な社域である。

末社の

川相 (かわあい ) 神社 祭神は細川水神 ( ほそかわのみずのかみ )

熊淵 ( くまぶち ) 神社  祭神は多支大刀自神 ( たきおおとじのかみ )

がご同座されている。

 

■大水神社御同座 ( 一緒に祭られている神社です )

          

川相神社 ( かわあいじんじゃ ) 皇大神宮末社

細川水神 ( ほそかわのみずのかみ )

 

川の神として伝えられ、倭姫命が定められた。

 

熊淵神社 ( くまぶちじんじゃ ) 皇大神宮末社

新川比賣命 ( にいかわひめのみこと )

多支大刀自神 ( たきおおとじのかみ )

 

石清水の守り神と伝えられる。

https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m01/0103.html

 

すぐ北に饗土橋姫神社が鎮座されます。

 

 

ふかふかの苔。参拝される方がほとんどいないということですね。

 

 

 

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饗土橋姫神社 ( あえどはしひめじんじゃ ) 皇大神宮所管社

宇治橋鎮守神 ( うじばしのまもりのかみ )

 

祭神は宇治橋守護の神。

饗土とは、内宮の宮域四方の境に悪しきものが入ってこないよう、

防ぎお祭りする所のことである。

宇治橋渡始式の折には、この神社の前で祭典が斎行される。

参拝を終えて振り返えると、宇治橋が正面に見える。

https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m01/0102.html

 

この北の一段上に津長神社が鎮座されます。

 

 

 

 

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津長神社 ( つながじんじゃ ) 皇大神宮摂社

栖長比賣命 ( すながひめのみこと )

 

その昔、五十鈴川の船着き場があり、津長原といわれていた。

末社の新川 ( にいかわ ) 神社 祭神は新川比賣 ( にいかわひめ ) 命

石井 ( いわい ) 神社 祭神は高水上 ( たかみなかみ ) 命

がご同座されている。 祭神は水の神。

 

 

■津長神社御同座 ( 一緒に祭られている神社です )

 

新川神社 ( にいかわじんじゃ ) 皇大神宮末社

新川比賣命 ( にいかわひめのみこと )

 

川の神として伝えられ、倭姫命が定められた。

 

石井神社 ( いわいじんじゃ ) 皇大神宮末社

高水上命 ( たかみなかみのみこと )

 

石清水の守り神と伝えられる。

https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m01/0101.html

 

 

 

伊勢街道を歩きます。

 

 

三十三銀行。

 

 

 

おかげ横丁の先にある新橋で五十鈴川を渡ります。

 

 

真っ直ぐ進むと内宮の御神域。

 

 

その手前、左に小さな丘があります。

 

 

石の橋を渡って登って行きます。

 

 

「 内宮の磐座 」 と呼ばれている巨大な磐。

 

 

何の障害もなく、ここまで来て拝むことができます。

内宮の御神域に鎮座されていても、参拝出来ない摂社が在るらいですから、

天照大御神の磐座であれば、近寄ることは出来ないのではないだろうか?

奥にそそり立った巨磐は、私には陽石にしか見えないのですけど。

 

丘の頂上まで登りました。

 

 

お社が鎮座されていた跡地と思われる平地になっていました。

『 皇大神宮儀式帳 』 ( 延暦二十三年、804年 ) には、石井( いわい)神社が

鎮座されていたことが記されています。

石井神社 ( 御祭神:高水上命 )は、ついさきほど参拝した津長神社に合祀

されています。

 

「 内宮の磐座 」 は 「 天照大御神の磐座 」 という意味ではなく、

「 内宮に在る磐座 」 という意味なのでしょうかね?

 

とても厳かな雰囲気の中に巨磐が在ります。

 

以上。