河原淵神社は、伊勢市駅から北へ1㎞のところに鎮座されます。
鎮座地:三重県伊勢市船江 1-10-140
河原淵神社は、鳥居をくぐったすぐ右に鎮座されています。
式内社 川原淵神社 伊勢国 度会郡鎮座
式内社 川原神社 伊勢国 度会郡鎮座
現社名 川原淵神社
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河原淵神社(かわらぶちじんじゃ) 豊受大神宮摂社
澤姫命(さわひめのみこと)
祭神は水の神、澤姫命。
神社の前の池は、宮川の分流の名残りを示す朧ヶ池 ( おぼろがいけ )
である。奥の神社は、産土神をまつる地元の神社・船江上社である。
https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m04/0404.html
現在は、舩江上社 ( ふなえかみのやしろ ) の境内社です。
舩江上社へ。
参道の左側にある朧ヶ池 ( おぼろがいけ )に向かって鳥居があります。
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おぼろヶ池の龍とは
古来より、雲を起こし雨を降らせ水に潜って天に昇っていく、この地の
大切な神とされてきました。
現在でも龍を神とする根強い信仰が各地にあり、農作物に天からの恵みの
雨を降らせてくれる龍神様として祀られています。
当社境内に龍姫命としてお祀りしており 「 龍形九似 」 として扱われて
きました。
「 龍形九似 」 とは龍の各体の部位が九つの動物に似ていると言うことから
きています。
頭-駝に似る 角-鹿に似る 眼-鬼に似る 耳-牛に似る
項-蛇に似る 腹-鮫に似る 爪-鷹に似る 掌-虎に似る
平成十五年十二月吉日
( 境内説明文 )
右に舩江上社が鎮座されます。
舩江上社 ( ふなえかみのやしろ )
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主祭神 《主》沢姫命
《合》天牟羅雲命,菅原道真,八幡大神,気長足姫命,火産霊神,
由緒
当社は古来、現在地に鎮座して、船江上社と称した。
明治12年の 『 神社明細帳 』 に
「 旧昔、船江に上下の2村あり、本社は上船江の産神たる故に上社
と称す。
土俗八幡宮とも称すれど、豊前宇佐の宮を勧請せる社にてはなく、
長徳検録に載せられたる田社33前の内、法道社、又御竃木帳に
宝答社と記されたる、外宮所攝の社の遺存なりと、古老の説なり。
鎮祭始め年月は不詳。」
とある。
しかし、度会延賢が、当社を下宮摂社河原淵神社の原地であるという説を
出して以来、これが通説となり、維新後、神宮による考證の上、
明治11年12月、当社域内の今の池に河原淵神社が移動された。
また当社の祭神は、古来、八幡神或は不詳とされてきたが、大正2年8月、
其の河原淵神社の本地であることから、その祭神である澤姫神を以て、
当社の祭神と決定するに至ったのである。
合祀神については、年月不詳であるが、
新開御薗の辺に鎮座した志賀井社
他2社 ( 八幡大神、気長足姫命、神名不詳一座 )、
明治維新後、船江町北檜尼鎮座の檜後社 ( 神名不詳一座 )
明治9年9月に同町字流江鎮座の箕曲氏社 ( 天牟羅雲命 )、
同41年3月25日に、同町字天路248鎮座の無格社菅原社 ( 菅原道真公 )、
菅原社境内社の稲荷社 ( 宇賀之魂と秋葉社火産靈神 ) の各社を合祀し、
今日に至っている。
なお、現在、中央本殿、左に西殿、右に東殿があり、本殿に澤姫命、西殿に
天牟羅雲命、東殿に菅公以下の諸神をお祀りしている。
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2953
拝殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
向かって右から、菅公御袖石。
袖石は、石段の左右においてある石、お墓なら、入口の左右に置いてある
石の事です。
「 菅公御袖石 」 というのはどういう意味なのでしょうね?
龍姫命。
稲荷神社。
拝殿に向かって右前に御神木が聳えています。
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御神木 招福楠
この御神木は樹齢約700年、樹高50m余り、周囲9.5mで招福楠として
町民の信仰の対象として知られている。
寛文三年 ( 1663 ) 摂社河原渕神社再興の時、官許を受けて御神木とした。
神皇正統紀 ( 北畠親房 ) を●●した延元四年 ( 1339 ) 頃に伊勢信仰の
●●による聖域を流れる皮の畔に植樹したものであろうと推定される。
舩江戸上社
( 境内説明文 )
隣りに浅間神社が鎮座されます。
三重県からは富士山が見えるのでしょう。
大阪や奈良では、浅間神社を見かけることは、まずありません。
大石神。
その後方に祓所。
秋葉社。
境内の眺め。
以上。