完璧なまでシャッター通りの高柳商店街を東へ進みます。

 

 

第三銀行高柳支店の裏手に、初代ガンダムRX-78-2。

おっちゃんにとって、ガンダムといえばこれ。

 

 

 

20年ほど前に、明野の陸自が伊勢おおまつりのパレード用として

製作した発砲スチロール製のもので、その後、高柳商店街が

譲り受けているそうです。

 

月夜見宮 ( つきよみのみや )は、外宮の駐車場前の交差点から

400mほど北上したところに鎮座されます。

JR伊勢市駅のロータリーから西へ道なりに500mほどの所です。

 

 

鎮座地:三重県伊勢市宮後1-3-19

 

御神域の前に、松尾芭蕉の説明文がありました。

 

 

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伊勢と松尾芭蕉

 

芭蕉は生涯六度伊勢に訪れたといわれています。

お伊勢参り、尊敬する西行法師や俳諧の祖である荒木田守武神主

ゆかりの地である伊勢は、芭蕉にとって憧れの土地であった。

 

伊勢は俳諧の盛んな土地で芭蕉のファンや門人も多かったため、

伊勢人との交流は深く、俳諧興行もしばしば行われました。

 

芭蕉の伊勢来訪

 

記録に残っているのは、

 

1684年 ( 貞享元年 ) 8月下旬、芭蕉41歳

第4回目の伊勢参宮 「 野ざらし紀行 」 の途中、伊勢大世古の御師

松葉矢風爆邸に10日程滞在、8月30日外宮参拝、

 

 三十日 ( みそか ) 月なし 千年 ( ちとせ ) の杉を 抱く嵐

 蔦植えて 竹四五本の 嵐かな

 欄の香 ( か ) や 蝶 ( てふ ) の翅 ( つばさ ) に薫物 ( たきもの ) す

 芋洗う女 西行ならば 歌詠まむ

 

1688年 ( 貞享五年 ) 2月、芭蕉45歳

第五回目 「 笈の小文 ( おいのこぶみ ) 」 の旅のとき

 

 何の木の 花とは知らず 匂いかな

 梅の木に なほ宿り木 ( やどりぎ ) や 梅の花

 御子良子 ( おこらご ) の 一本ゆかし 梅の花

 盃に 泥 ( どろ ) な落としそ むら燕

 

 この山の かなしさ告げよ 野老堀 ( ところほり )

 芋植えて 門は葎 ( むぐら ) の 若葉かな

 紙ぎぬの ぬるともをらん 雨の花

 物の名を 先ず問ふ蘆 ( あし ) の 若葉かな

 

1689年 ( 元禄二年 ) 9月、芭蕉46歳

第六回目奥の細道を終え、式年遷宮を拝まんと伊勢を訪れる。

西河原 ( 宮後町 ) の島崎又玄宅に宿泊。

 

 月さびよ 明智が妻の 咄し ( はなし ) せん

 門に入れば 蘇鉄に蘭の 匂ひかな

 硯かと 拾ふやくぼき 石の露

 秋の風 伊勢の墓原 なほすごし

 

1694年 ( 元禄七年 )、芭蕉51歳

大坂で10月12日に他界する。

この年の元旦の深川芭蕉庵で伊勢を偲んで詠んだ句。

 

 蓬莱に 聞かばや 伊勢の 初便り

 

                        ( 説明文 )

 

 

    

 

 

折れ曲がった参道。

 

 

右に手水舎。

 

 

 

手水舎の後方に参集殿 ( ? ) がああり、その後方に御神木が聳えて

います。

 

 

 

 

式内社 月夜見神社 伊勢国 度会郡鎮座

現社名 月夜見宮

 

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月夜見宮(つきよみのみや) 豊受大神宮別宮

月夜見尊(つきよみのみこと)

月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

 

祭神は天照大御神の御弟神。

皇大神宮別宮の月読宮と御同神をおまつりするが、月夜見宮と書いて

区別している。

もとは摂社であったが、承元4年(1210)に宮号宣下があり、月夜見宮と

称するようになった。

宿衛屋でお札やお守りが受けられ、ご朱印もいただける。

なお、遷御の儀は平成27年(2015)2月28日に斎行された。

https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m02/0202.html

 

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⽉夜⾒宮

豊受大神宮(外宮)別宮

御祭神 月夜見尊

 

⽉夜⾒宮の由緒と沿革

 

月夜見尊は 『 古事記 』、『 日本書紀 』 によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊の

二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月夜見尊をお生みに

なられ夜之食国をお治めになるようにご委任になられたと記されています。

 

また、『 日本書紀 』 には、天照大御神のご神徳は「光華明彩、六合の内に

照り徹らせり」とあり、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご神徳は

それに次ぐものとして月になぞらえたと考えられます。

 

月夜見宮は、伊勢市の中心部に鎮座しますが、古くは高河原と呼ばれ、

川の流れと農耕に深いつながりのあるお社です。

『 延喜太神宮式 』 には 「 月夜見社 」 とあり、外宮の摂社の首位に

列せられておりましたが、鎌倉時代のはじめ、第83代土御門天皇の

承元4年(1210)に、別宮に昇格されました。

 

外宮北御門から月夜見宮に真っすぐ伸びる道は、地元の人々に

「 神路通り 」 と呼ばれ親しまれています。

この道は神様が通う道とされ、真中を歩くことなどを遠慮する習慣があります。

https://www.isejingu.or.jp/about/outerbetsugu/

 

昔は、中国では農暦と呼ばれる 「 太陰暦 」 で生活しておりましたから、

「 月を読む 」 ということは稲作にとってとても重要なことでした。

 

月夜見宮に向かって右に高河原神社が鎮座されます。

 

 

式内社 川原坐国生神社 伊勢国 度会郡鎮座

現社名 高河原神社

御祭神 月夜見神御魂

 

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高河原神社(たかがわらじんじゃ) 豊受大神宮摂社

月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)

祭神は宮川の高河原といわれた土地の開拓の守護神。

月夜見宮の宮域内で同宮右後ろ(東北)に鎮座されている。

https://www.jingukaikan.jp/125mairi/m02/0203.html

 

月夜見宮に向かって左後方に稲荷神社が鎮座されます。

 

 

 

 

後方の御神木は、おそらく雷が落ちたのでしょう。

 

 

以上。