外宮前を北上していると、伊勢市役所の前で土塀に遭遇しました。
すぐ隣りには税務署もあります。
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御師邸跡 ( 三日市兵部邸土塀 ) 所在 伊勢市岩渕一丁目
ここに残る土塀は、かつての御師邸の遺構です。
御師とは、古く大社寺に属する御祈祷師あるいは御師匠が略されたもの
といわれています。
伊勢での紀元は明らかではありませんが、平安時代後期には存在して
いたようです。
御師は年に一度、全国各地の檀家を回り、神宮の御札、伊勢暦や
特産物などを配って庶民の伊勢信仰を広め、檀家が伊勢参りをする
折りには自らの屋敷に宿泊させ、数々のもてなしをしました。
庶民のおかげ参りが盛んとなった江戸時代には、宇治と山田で900軒
余り ( 享保年間 ) の御師が活動していました。
寛保二年 ( 1742 ) の 『 山田惣絵図 』 によると、この土塀は三日市
兵部邸のものと推測されます。
三日市兵部家は、山田のかつての自治組織・山田三方に投席を有した
御師で、遠州浜松の松平家、欧州弘前の津軽家などを檀家に持って
いました。
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しかし、明治四年 ( 1871 )、明治政府による神宮制度の改革で御師は
廃止され、数ある御師邸もほぼ失われてしまいました。
御師邸の遺構が市内に数えるほどしかないなかで、この土塀は、
かつての御師邸の敷地に現存する貴重な遺構なのです。
( 説明文 )
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寛文年間 ( 1661~1672 ) に作成された、山田の町を表した絵図。
図の上が南となっている。
当時の憂慮喜雨な御師の邸宅や寺社が記されており、その位置を
現代に伝える貴重な資料である。
三日市兵部邸の西隣にあたる三日市大二郎 ( 三日市帯刀 ) 邸は
伊勢随一の規模を誇る屋敷 ( 総面積約1800坪 ) を有したが、
昭和20年 ( 1945 ) 7月の空襲で焼失した。
( 絵図返本: 神宮文庫所蔵 )
拡大してみますと、現在の市役所の駐車場あたりが御師邸だった
ようです。
さらに北上、外宮前駐車場に、ペンキが剥がれた電柱が建っています。
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昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱
昭和三年に昭和天皇ご即位の大典が京都で執り行われ、同年十一月
には両陛下が伊勢神宮にご参拝されました。
これに合わせて、皇大神宮 ( 内宮 ) 宇治橋付近から宇治蒲田町交差点
付近までの間 ( 通称おはらい通り ) 約600mに通信ケーブル架渉用に
コンクリート電柱23本が建設されました。
電柱は足場組立装置により現場において施工したもので、ホーロー引の
番号札が取り付けられていました。
これらの電柱も、古い歴史を持つおはらい町の再開発計画 ( 街並保存 )
の一環として、電話線の地中化が行われることとなり、平成四年十月に
全て取り除かれました。
この電柱はその内の一本で、昭和初期としては非常に数少ないコンクリート
電柱であることから、ここに保存のこととしました。
( 説明文 )
説明文に 「 おはらい通り 」 と書かれてある通りは、 「 おかげ横丁 」
です。
外宮からは3㎞ほど離れたところです。
現地に遺せればよかったのでしょうが、遺せなかったのでしょうね。
更に北上したところに、「 大神宮前 」 という行き先板 ( 名称を知らない )
がありました。
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伊勢電機鉄道 大神宮前駅跡地
此の地に、伊勢電大神宮目駅在り、駅舎より東へ延長約80mの
プラットホーム2本と4本の線路、最北端には1本の留置線があった。
伊勢電最盛期には、特急 ( はつひ、かみぢ ) が桑名まで1時間25分
で快走し一世を風靡した。
その後関西急行となり、名古屋直通急行の新車、関急一型
( 近鉄モ6301型 ) が濃緑色の塗装で颯爽と登場、その快速性、
故に「 緑の弾丸 」 といわれ、後に近鉄名古屋線、急行車両の原型
となり、多くの同系車が生まれた。
伊勢線の大神宮前から江戸橋間は参急本線、及び名古屋線と
並行路線で、かねてより廃線の噂はあったが、ついに昭和十七年八月
十一日大神宮前から新松阪間は廃線となり、その資材は、各地の
複線化に振り向けられ、大神宮前駅は伊勢電により解説されてから
わずか12年でその役目を終えた。
伊勢電気鉄道、大神宮前駅略暦
明治四十四年十一月十日 伊勢鉄道創立
大正十五年九月十一日 伊勢電気鉄道と改称
昭和五年十二月二十五日 桑名~大神宮前間全線開通
大神宮前駅開設
昭和十一年九月十五日 参宮急行電鉄に吸収合併
参急伊勢線となる
昭和十三年六月二十六日 関西急行電鉄
桑名~名古屋間開通
名古屋~大神宮前間全線開通
昭和十五年一月一日 関西急行電鉄 参宮急行電鉄に合併
昭和十六年三月十五日 大坂電気軌道と参宮急行電鉄合併
関西急行鉄道 ( 関急伊勢線 ) となる
昭和十七年八月十一日 関西急行鉄道伊勢線
新松阪~大神宮前間廃線
大神宮前駅廃止
昭和十九年六月一日 関西急行鉄道と難解鉄道が合併し、
近畿日本鉄道創立
平成二十年三月 伊勢市
( 説明文 )
出雲大社の大社線、弥彦神社の弥彦線、筑波山神社の筑波鉄道等、
廃線になってしまった寺社参拝の為の鉄道は多いですね。
更に北上、外宮の方向に工場のようなものが見えましたので、見に
行きました。
山田工作場。
中には入れません。
伊勢神宮の社殿などに使う木材を加工する作業場です。
次の式年遷宮で使われる木材が保管されています。
ネットで検索していると、2017年11月16日付の伊勢嶋経済新聞の記事
を見ることが出来ましたので、転載します。
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2017年11月16日
伊勢神宮山田工作場で「次の式年遷宮」の準備始まる
木曽で切られた材木届く
伊勢神宮の社殿などに使う木材を加工する山田工作場 ( 伊勢市
八日市場町 ) で11月15日、長野と岐阜で伐採された木をお払いする
「 斧入式(おのいれしき)伐採木修祓 (しゅばつ) 式 」が行われた。
この日の早朝、長野県木曽郡上松町小川入国有林から伐採された樹齢
約300年 (直径58cm、樹高28m) のヒノキ5本分計10本、
岐阜県中津川市加子母裏木曽国有林から伐採された樹齢約100年
(直径52cm、樹高22m) のヒノキ3本分計17本が大型トラックで
運ばれ到着した。
このヒノキは、それぞれ10月28日と同30日に斎行された次回の式年
遷宮で使用されるご用材の最初の伐採に当たる「斧入式 」で伐採
されたもので、杣人(そまびと)3人が3カ所から同時におのを入れて
中を空洞にして切る「三ツ緒(みつお)伐り」という伝統技法で
切り出された。
斧入式には伊勢神宮の小松揮世久(きよひさ)大宮司と亀田幸弘少
宮司も参列した。
2人の神職が榊と塩でお払いを行った後、クレーンで降ろされ、検査の後、
原木番号が付けられ、山田工作場内にある貯木池に入れられる。
貯木池には3~4年間漬けられ、水の中で樹脂などを抜き反りや亀裂が
起こりにくくする 「 水中乾燥 」 され、その後、切断、墨掛け、製材の
工程を経て、長いもので10年間自然乾燥される。
第62回式年遷宮では、長野と岐阜で伐採された木曽ヒノキが約75%、
伊勢の宮域林から伐採されたヒノキが約25%使用された。
斧入式で伐採されたヒノキは内宮 (ないくう) の正宮 (しょうぐう) で
使用される予定。
https://iseshima.keizai.biz/headline/2890/
以上。