JR芦屋駅の北側の通りです。

都会的な、落ち着いた雰囲気があります。さすが芦屋。

 

 

阿保天神社は、JR芦屋駅のすぐ南に鎮座されます。

 

 

鎮座地:兵庫県芦屋市上宮川町7-11

 

御神域の前は駐車場になっています。

 

 

 

右に手水舎。

 

 

 

    

 

肘置きの子狛犬。

 

 

本殿は流造。

 

 

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阿保天神社

 

当神社は、

 阿保親王

 在原業平公

の御父子と

 菅原道真公

の三神をお祀りしています。

 

神事

 

阿保新王は第五十一代平城天皇の第一皇子で、そして在原業平朝臣公は

親王の第五番目の御子です。

阿保親王は承和九年 ( 842年 ) 十月二十二日摂津の国芦屋の里 

( その館跡が現在の打出町親王寺と伝えられています )

で御歳五十一才をもって亡くなられました。

 

毎年十二月一日に阿保親王の御遺徳を偲び、宮内庁が祭祀となって

市内有志が合集い親王塚御墓前で御正辰祭が挙行されます。

 

阿保天神社 宮司

同     総代会

                         ( 境内説明文 )

 

兵庫県神社庁HPの記事では、

 

  創立年不詳。

  明治6年(1873)、村社に列せられる。

 

とだけ書かれておりました。

明治の初めに村社に列格されているのですから、江戸以前の御創建では

あるのでしょう。

 

芦屋に鎮座される六社を参拝する 「 芦屋睦の宮詣 」 という

巡拝コースがあり、そのパンフレットには

 

  古くは西打出天満宮と称したが、昭和二十七年、

  阿保親王・在原業平公を増祀し、社名を阿保天神社と改称した。

 

と書かれています。

 

本殿に向かって左に稲荷神社 ( 左 )、大山祇神社 ( 右 ) が鎮座されます。

 

 

本殿に向かって右に大国神社が鎮座されます。

 

 

    

 

大国神社の手水鉢には、盃状穴が彫られています。

 

 

「 芦屋睦の宮詣 」 のパンフレットには

 

  盃状穴という穴が見られる古式の手水鉢

 

と書かれていますが、目的については書かれていません。

帰宅してから 「 盃状穴 」 で検索してみると、いくつかの記事を読むことが

出来ますが、目的は不明と書かれていました。

 

越谷市の ” 石造物にみられる謎の「盃状穴」” という記事を読むと、

盃状穴は江戸時代の手水鉢、石仏、石塔だけでなく、古墳の石室にも

開けられているそうです。

江戸時代の手水鉢・石仏・石塔と、古墳時代の石室では、時代は1500年

くらい異なりますし、目的も別のものだったように思います。

江戸時代の盃状穴も、地域によって目的は異なっていたようです。

http://koshigayahistory.org/67.pdf

 

本殿のすぐ隣に、力石が置かれていました。

 

 

 

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芦屋市指定文化財 阿保天神社力石

 

力石は、農村や漁村で力比べなどに使用されたものです。

力仕事の多い村落社会において、男性の通過儀礼として、

持ち上げることなどで成人男性と認められる祭りや行事があったと

されています。

 

力石の重さは、米俵一俵 ( 十六貫、60㎏ ) より少し重いものが多いと

考えられていますが、阿保天神社の力石の内2点には、

「 五十メ 」 ( かんめ、187.5㎏ ) ・「 四十メ 」 ( 157.5㎏ ) と、

米俵一俵よりもかなり思い数字が刻まれています。

 

 

現在、市内で確認できるのはこれらの力石のみであり、

農村であった頃の芦屋市域の民族行事を知るうえで貴重です。

 

芦屋市教育委員会

 

                         ( 境内説明文 )

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。