板宿 ( いたやど ) 八幡神社は、山陽電鉄:東須磨駅から北へ1㎞、
山頂に鎮座されます。
鎮座地:神戸市須磨区板宿町3-15-25
地図でわかりますように、住宅街の小路を通っていきます。
「 板宿八幡 」 の案内板通りに行けば到着できます。
拝殿の手前に鎮座されている流造の社殿は飛松天神です。
拝殿に向かって右に手水舎。
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板宿八幡神社
御祭神 誉田別命 ( ほんだわけのみこと、八幡大神 )
大日孁女命 ( おおひるめのみこと、池之宮明神 )
菅原道真公 ( すがわらみちざねこう、飛松天神 )
当神社は、八幡神社と菅原道真公を鎮守神として、永延元年 ( 987年 )
一月に創祀されました。
明治四十一年に現在の明神町一丁目あたりに鎮座されていた池之宮
明神が合祀されました。
八幡大神は厄除け諸願成就、池之宮明神は産業発展・治水、
飛松天神は学問諸芸上達、境内社の稲荷神社大神は家内安全・商売
繁昌の神として多くの方に篤く崇敬されています。
板宿と飛松について
昌泰四年 ( 901年 ) 菅公が大宰府への赴任途上に立ち寄られた折、
村人が板で囲った簡単な宿を設けたことから、この地は 「 板宿 」 と
呼ばれるようになりました。
菅公が
「 京で大切にしていた桜は、別れ悲しみ枯れ、梅は旅の途上
香りを届け続けてくれたが、松は情け知らずだ。」
という
「 梅は飛び 桜は散るる 世の中に 何とて松の つれなかるらむ 」
の歌を詠まれると、この地に松が飛来してきました。
周辺の飛松町や飛松岡などの地名は、この伝統にちなんだものです。
飛松はたかさが役30mもあったとされ、航海の目印にされていたそうです。
現存する切株は天神社拝殿に奉納され、板宿の飛松と慕われています。
( 境内説明文 )
瀬戸内海沿岸に鎮座される多くの天満宮では
「 菅公が大宰府への赴任途上に立ち寄られた折、網を敷いた上に
休んでいただいた。」
という伝承が無茶苦茶多いですが、こちらでは
「 板で囲った簡単な宿で休んでいただいた。」
という伝承です。
兵庫県神社庁HPの記事を転載します。
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上野山に鎮座するが、東側の現在須磨学園高等学校の敷地となる山を
得能山という。
由来は、建武3年 ( 1336 ) 新田義貞軍に属し、湊川の戦で足利尊氏を
迎え撃った四国伊予の豪族・得能通俊がこの山に陣を張り、その合戦で
自害した同氏を山上に葬ったとする説であるが、大正13年 ( 1924 )
同山を開拓した時、推定4世紀の竪穴式石室が発見された。
その古墳から一体の人骨(女性)と二面の鏡・刀剣等が出土し、現在
東京国立博物館に展示されているが、出土品等の写真を当社が
所蔵する。
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301172.html
拝殿の後方の本殿に参拝出来ます。
本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
左から、元稲荷大神、御社名不明、稲荷大神、祇園大神。
一番右は祇園大神と彫られていますが、石塔には金刀比羅大神と彫られて
います。
本殿からの眺め。
拝殿に向かって左に稲荷神社が鎮座されます。
拝殿からの眺め。
拝殿の前に鎮座される飛松天神。
飛松天神の前では、樽酒でお酒をふるまわれておりました。
飲みたかったのですが、この後に山に登って高取神社を参拝する
殊になっておりますので、我慢しました。
樽酒の写真を撮ると、宮司にお酒を進められそうな雰囲気が
ありましたので、写真も撮りませんでした。
樽酒からの眺め。
鳥居から神戸が一望できます。
以上。