須磨寺は、山陽電鉄:須磨寺駅から来たへ500mのところにあります。

駅を出ると参道で、真っ直ぐ歩くと到着です。

 

住所:兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8

 

 

 

 

参道の右に亜細亜万神殿があります。

アジア各地で蒐集した神仏の石像が多数祀られています。その一部。

 

    

 

    

 

 

ストゥーパ、これが日本に渡って、卒塔婆になりました。

三重塔や五重塔も、元は卒塔婆で、ストゥーパです。

 

 

上から見た砂曼荼羅の全景 ( の写真 )

 

 

 

 

展示されている仏像は非常に多いので、ここらで失礼します。

 

 

参道の左に正覚院 ( 御本尊 愛染明王 ) 。

 

 

仁王門へと続く龍華橋。

 

 

仁王門は、源三位頼政公の再建。

 

 

源頼政公は後白河天皇と崇徳上皇が争われた保元の乱では天皇に従い、

平清盛公と源義朝公が争った平治の乱では清盛公に従い、清盛公の推挙

によって従三位に昇格。

後に、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで全国の源氏に平家打倒の

令旨を伝えたものの、計画が露見して宇治平等院の戦いに敗れ、自害。

 

弓の名手として有名で、鵺 ( ぬえ ) を退治して天皇の病を治したという

伝説があります。

鵺とは、角川映画悪霊島のキャッチコピー 「 鵺の鳴く夜は恐ろしい 」

の鵺です。

 

( 御参考 ) 

京都市上京区には、源頼政公が退治された鵺を祀った鵺大明神が鎮座

されています。

御祭神  鵺大明神 ( ぬえだいみょうじん )

      玉姫大明神 ( たまひめだいみょうじん )

      朝日大明神 ( あさひだいみょうじん )

 

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二条公園の北側には、鵺池という小さな池がありました。

傍らには不鮮明ですが、鵺池牌と書かれた石碑があり、さらにその北側には

鵺大明神の祠があり、そこには新しく復元された碑が建っています。

 

平安時代、二条公園を含む付近一帯は、天皇の住まいである内裏や、

現在の国会議事堂に当たる大極殿を正殿とする朝堂院 ( ちょうどういん )、

そして今の内閣に相当する太政官など、国家政治の中心となる官庁街でした。

 

平家物語巻四によると、院政期とも呼ばれる平安時代後期、深夜、天皇の

住まいである内裏に怪しい鳥の鳴き声がし、近衛天皇が非常に怯えられた。

そこで弓の名手である源頼政が射落とした怪鳥は、頭は猿、胴は狸、

手足は虎、尻尾は蛇という姿の鵺であったといい、そのときに地の着いた

鏃を洗ったのが、この二条公園の池だと伝えられています。

 

      ( 鵺大明神の南側にある、復元された鵺池にあった説明文 )

 

仁王力士は運慶及び湛慶 ( 運慶の嫡男 ) の作。

 

    

 

 

右に手水舎。

 

 

 

その右に、阪神大震災追悼碑が建立されています。

 

 

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平成七年一月十七日午前五時四十六分、阪神地方の都市文明は、一瞬に

して崩壊した。阪神淡路大震災である。

科学万能の思想に安息を委ねてきた物質社会は、予想せざる自然の脅威に

抗しきれなかった。

 

釈尊の 「 常あるものなし 」 の教えが現代に於いても真実であることを

知らされたのである。

この大震災によって六千五百余似んの尊い生命が失われ、約四十万棟の

家屋が破壊・焼失された。

 

この悲しみ、この苦しみを風かさせてはならない。

大震災による幾多の教訓を深く心に刻み、物故者の追悼を祈念し、人々の

生きる心のよりどころとして本懐は財団創立四十周年 第三十七回全日本

仏教徒会議を、神戸市に於いて開催するに当たり、追悼碑の建立を発願

した次第である。

 

建立に際しては大本山須磨寺の御厚情により境内地n提供を戴き、塔内

には各宗師表による染筆が納められたのである。

また各位より協賛の浄財を賜り、その芳名を裏面に刻し茲に衷心より

敬意と謝意を表するものである。

 

維時 平成九年十月十五日 財団法人全日本仏教会 理事長白幡憲祐

 

                             ( 碑文 )

 

参道の左に桜寿院。

 本尊は阿弥陀如来、

 右脇侍に大日如来と浪切不動明王、左に弘法大師と秘鍵大師。

 

 

その先、参道の右に鯖大師。

 

 

まさか神戸市須磨区に鯖大師が在るとは思いませんでした。

四国別格二十番第四番札所鯖大師は、徳島建海部郡海陽町浅川に在り、

お遍路経験者なら名前くらいは知っているでしょう。

私は、別格二十番は一度参拝しています。

なお、別格二十番は、50年くらい前に出来た新しい巡礼です。

お堂には、鯖大師の説明が掲げられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く。