宝塚市のマンホール。
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宝塚市の花 「 スミレ 」、観光ロゴマークにも採用された 「 ベル 」 が
デザインされたマンホール蓋です。
スミレは明るさと清潔感を出すためにスミレの花を中央に大きく、そして
音楽の町・宝塚を表現するために楽器のベルを周辺に散りばめ華やかさを
演出しました。
蓋のデザインについては汚水、雨水共通です。
蓋に書かれている文字は当初、ローマ字表記でしたが、近年ひらがな
表記に変更を行い、より分かりやすくしています。
「 スミレ 」 という名の由来は、一説に、花の形が大工道具の
「 墨入れ ( すみいれ・墨壺 )」 に似ていることからこの名があると
されています。
( マンホールカードの説明文 )
宝塚歌劇のシンボルフラワーの「 すみれ 」 は、名曲 「 すみれの花咲く頃 」
に由来しているそうです。
私は、シンボルフラワーが 「 すみれ 」 だったので 「 すみれの花咲く頃 」 が
作られたと思っていたのですが、逆でした。
口谷 ( くちたに ) 春日神社は、阪急宝塚線:山本駅から南東へ1㎞の
住宅街に鎮座されます。
鎮座座地:宝塚市口谷西3丁目28
鳥居には、高さ1.5mほどのところに注連縄が張られています。
参拝される方々が鳥居を避けて横を通っているので、
「 この注連縄をくぐらないのですか?」
と尋ねたところ、「 どうぞ 」 としか言いませんでしたので、私もくぐるのを
やめて横を通りました。
くぐってよいのか、くぐらないのがよいのか、わからずじまいです。
参道の右に白太夫社が鎮座されます。
左に手水舎。
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春日神社略由緒
御祭神 天児屋根命 ( あめのこやねのみこと )
武甕槌命 ( たけみかつちのみおこと )
経津主命 ( ふつぬしのみこと )
天児屋根比売命 ( あめのこやねひめのみこと )
創建年月不詳、口谷の地は古●山本壮の一部であったが、慶長
( 1596~1614 ) の頃開村、寛延元年 ( 1748 ) 本村と高を分けた。
山本壮は松尾大社領となった時期があったが、口谷は南接の久代、
萩野、東野と共に多田院を通じ、藤原家の勢力の及びぶ人達の
住まう地域で、藤原家氏神の春日大神を奉斎したと考えられる。
里の口伝によれば、徳川秀忠が大阪城攻略の際、兵火を受け、
宝永年間 ( 1704~1711 ) に大造営を行ったとされ、安永五年
( 1776 ) 十二月に炎上、同六年に再興されたことが今の本殿
棟札の記録からわかっている。
現本殿はやや小ぶりながら技法を凝らした美しい容姿をとどめて
いる。
拝殿、幣殿、本殿覆いは、阪神大震災により損壊、翌平成八年再建、
今日に至る。
参道には寛永・文化・天保の銘のある灯籠、元禄八年の銘のある
鳥居がある。
( 境内説明文 )
参道に珍鎮座されていた白太夫社は、御社名から推測すれば、
菅原道真公が大宰府へ下向のとき、菅公のお伴をされた白太夫公を
祀っているものと思われますが、御祭神の中に菅公は含まれて
おりません。
本殿に向かって左後方に稲荷神社が鎮座されます。
拝殿に向かって右の境内社が鎮座されます。
左から、松尾神社、住吉神社。
松尾神社の狛犬。
住吉神社の狛犬。
拝殿からの眺め。
以上。