津市消防団粟真分団の車庫に貼られていた団員募集。

 

 

チョーかっこいい、マンホール。

津藩藩祖、藤堂高虎公の兜 「 唐冠形兜 」 が描かれている消火栓蓋です。

 

 

朽ち果てる一歩手前の飛び出し坊や。

 

 

大乃己所 ( おおのこそ ) 神社は、津駅から北へ2㎞、

三重短大から西へ500mの所に鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:三重県津市一身田中野694

 

 

正面の建物は、かなり変わった様式です。

大乃己所 ( おおのこそ ) 神社の敷地にあるお寺でした。

 

 

山号は普門山、お寺の名前は不明。

 

 

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三重県指定有形文化財 彫刻 木造 観音菩薩立像 1躰 附頭上6面

                  時代   平安時代

                  所有者  一身田中野区自治会

                  指定   平成二十五年二月十三日

 

本像は、もと此の地にあった慈眼寺に伝来した仏像で、かつて十一面観音に

作り替えられたようですが、現在は観音菩薩立像となっています。

仏頂面、変化面などの頭上面6面が別置きで残されています。

コレラの麺は、本像が制作されてから現在に至るまでの歴史をたどるうえで

貴重な資料です。

 

構造は、ヒノキと思われる針葉樹材の一本割矧造 ( はぎつくり ) で、

像高89.2㎝。右足に重臣をかけて腰をやや右に傾けて建っています。

左手は曲げて瓶を握り、右手は下げて指をまっすぐに伸ばしています。

腕や衣、両足先、台座、頭上面などは作り直されて居ますが、全体によく

保存されています。

 

津市指定無形民俗文化財 中野獅子舞   

                  保持団体 中野獅子舞保存会

                  指定    昭和五十八年九月五日

 

 

獅子舞の起源ははっきりしませんが、昔、伊勢国に疫病が流行したとき

1本の大椿から33体の獅子頭を作り、各地の神社に分けて舞ったところ

疫病がなくなったと伝えられています。

 

昭和五十七年まで使用していた獅子頭がそのうちの1つといわれ、

明和元年 ( 1764 ) の銘があり、現在は隣りにある見切り大明神の御神体

になっています。

 

舞は3年に一度の旧正月に、頭1名、あと舞1名、口取り1名、笛3名、

太鼓1名の7名で行われ、あと舞と口取りは小学生の男子が務めます。

舞には 「 段序 」 「 田楽のひねり 」 「 乱舞 」 「 喰い起こし 」 

「 扇の舞 」「 しのび 」 「 花の舞 」 の7曲があり、

幕間には田植えのまねをする 「 田遊び 」と、湯立て神事のまねをして、

その後みかんを撒く 「 みゆ 」が行われます。

 

津市教育委員会

                          ( 境内説明文 )

 

お寺に向かって左に、大乃己所 ( おおのこそ ) 神社の参道があります。

 

 

手水鉢。

 

 

 

2つ目の手水鉢の縁は、欠けています。

 

 

名古屋市緑区に鎮座される秋葉社の手水鉢は、願掛けとして

縁が削り取られていました。

 

 

奈良市の般若寺の手水鉢は、子供達 ( たぶん受付に座っていた

お爺さんが子供だった頃 ) が、いたずらで縁が削り取られていました。

 

 

大乃己所 ( おおのこそ ) 神社の手水鉢の縁は、何故削られているので

しょうね。

きれいに取られているので、子供達のいたずらではないと思います。

 

 

    

 

式内社 大乃己所神社 伊勢国 安芸郡鎮座

現社名 大乃己所神社

 

境内に説明文はありましたが、皇學館大学の記事のほうが少しだけ詳しい

ですので、転載します。

 

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会 HP

 

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主祭神

《主》 誉田別命,

《合》 足名椎命,須佐之男命,手名椎命,大山津見神,

《配》 大日孁命,豊宇気比売命,天児屋根命

 

由緒          

天應元年(781)酉年8月11日鎮座との申し伝えがある。

往昔より七社大明神と称えられ、見初大明神の神殿に八王子、稲荷、八幡、

春日、神明、大梵天王七座神を奉祀して尊崇を得た。

 

神殿床下に獅子頭1口を収蔵し、閏年の前年2月節分よりこれを舞わし、

戦前は稲生町の伊奈富神社の大祭に参加していた。

明治41年大古曽の大乃己所神社へ合祀されたが、昭和26年大古曽の

大乃己所神社より分祀され現在に至る。

獅子舞は津市指定無形文化財に指定されている。

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2945

 

大乃己所 ( おおのこそ ) 神社には、大物主神の鬼退治の伝説があります。

 

→大物主神の鬼退治(大物主勧請)

 

伊勢國奄藝郡の猟人が山に入って鬼を退治し、その鬼の捕へていた女を

妻として児を生んだ。ところが、母子ともに姿を隠して行方不明となって

しまった。

 

その後猟人が大和國三輪社に詣でて再会を所ったとき、神殿忽ち開扉して

母子ともに殿内にあり、猟人妻子みな化して神となった。

そこでその神祭は奄藝郡の人が執行する事になつたと言う。

 

このような由緒によつて、三輪の明神すなはち大物主神を創祀したのが

当神社である。

http://1shinden.towninfo.org/oonokoso/sonota.html#onitaiji2

 

この伝説では、大乃己所 ( おおのこそ ) 神社の御祭神は三輪明神

( 大物主神=大国主命 ) ということになります。

しかし、現在の御祭神の中には含まれておりません。

 

 本殿に向かって左に山神が鎮座されます。

 

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。