往馬 ( いこま ) 大社は、生駒駅と南生駒駅のほぼ中間に鎮座されて
います。
鎮座地:奈良県生駒市壱分町1527-1
とても広い御神域です。広い駐車場から眺めた御神域。
祭に使われるのだと思います。たくさん社殿が並んでいます。
左から、高座、北座、管弦楽座。
南座。
石段に向かって右に手水舎。
石段の途中に楼門。
拝殿。
拝殿には祭に使われる獅子が置かれていました。
社殿は左右に並んでいます。
式内社 往馬坐伊古麻都比古神社二座(並大 月次/新嘗) 大和国 平群郡鎮座
現社名 往馬坐伊古麻都比古神社 ( 往馬大社 )
鎮座地 奈良県生駒市壱分町1527-1
旧社格 県社
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往馬大社御由緒書
往馬大社の歴史はたいへん古く、創立年代は定かではありませんが、
生駒谷十七郷の氏神としてこの地に鎮座し、奈良県内では大神神社や
石上神宮と同様に神奈備 ( かんなび )( 生駒山 ) を御神体として、
祀られた日本有数の古社であります。
また、神社の境内を覆う鎮守の杜は奈良県の天然記念物に指定されており、
太古から変わらぬ自然の森を今に守り伝えています。
神社で最も占い記述は 『 総国風土記 』 の雄略天皇3年 ( 458年 ) で、
この年を御鎮座と致しますと、去る平成21年に1550年を迎えました。
また、正倉院文書にも記載が見られ、奈良時代からすでに朝廷との関わり
がありました。
平安時代の 『 延喜式 』 ( 927年 ) では、往馬坐伊吉麻都比古神社
二座が官幣大に列せられ、その内一座は祈雨 ( あまごい ) の幣も賜って
いました。
この時代、本殿は産土神の二座でありましたが、鎌倉時代に武家の守護神
である八幡信仰が興隆し、当社でも五座の八幡神を合せ祀り現在の七座と
なりました。
現在本殿の御祭神は
伊古麻都比古神 ( いこまつひこのかみ、 産土大神 )
伊古麻都比責神 ( いこまつひめのかみ、 産土大神 )
気長足比売尊 ( おきながたらしひめのみこと、 神功皇后 )
足仲津比古尊 ( たらしなかつひこのみこと、 仲哀天皇 )
誉田別尊 ( ほんだわけのみこと、 応神天皇 )
葛城高額姫命 ( かつらぎたかぬかひめのみこと、神功皇后の母君 )
気長宿祢王命 ( おきながすくねおうのみこと、 神功皇后の父君 )
以上の七柱で、この他境内に十三社の摂末社と、境外地に別院春日社四社
と高良社 ( こうらしや ) 二社が祀られています。
鎌倉時代の 『 生駒曼茶羅 ( いこままんだら )』 ( 重要文化財 ) と
室町時代の 『 生駒曼茶羅 』( 県指定文化財 1456年 ) の二軸は
八幡神を合せ祀った当時の隆盛を物語っています。
境内にはこの曼茶羅に描かれた神功皇后の本地仏である十一面観音像を
安置する観音堂があります。
仏像は鎌倉末期から室町初期頃のもので、社伝では 「 雲慶作 」 と
伝えられています。
また、現在の観音堂付近に古くは経室 ( きようしつ ) という建物が存在し、
そこには 『 大般若経六百巻 』 が納められ、神宮寺と云われる十一の寺が
三年つつ輪番で経室を管理していました。
さらに、現在英霊殿が祀られている場所には幕末まで八角の宝壇が設けられ、
称徳天皇 ( 718年~770年 ) の黄金の位牌を埋めたところと伝えられて
います。
往馬大社は古くから 「 火の神 」 としても崇敬厚く、平安時代の 『 北山抄 』
や 『 亀相記 』 という書物には、天皇の大嘗祭 ( だいじょうさい ) に関わる
火きり木を当社より納めた歴史が記されており、昭和や平成の大嘗祭の
「 斎田点定 ( さいでんてんてい ) の儀 」 にも御神木の上溝桜
( うわみずざくら ) が使用されました。
このような歴史のもとで、毎年10月の体育の日の前日に執り行われる
火祭りは、古式豊かな伝統行事として奈良県の無形民俗文化財に指定
されています。。
参拝の栞
火祭りのポスター。
火祭り・その他神事の様子は、公式HPに多数掲載されています。
非常に充実しています。
http://www.ikomataisha.com/gazousyu.html
社殿に向かって右に境内社が鎮座されます。
英霊社。
北末社、
左から大山祇社、春日社、神明社、仁徳天皇社、豊受比売社。
観音堂。
十一面観音立像 ( 伝雲慶作。鎌倉末期~室町初期 ) が祀られています。
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往馬大社 権の社改修整備 観音堂建立記念碑
社宝十一面観音立像は、本殿の御祭神である神功皇后の本地仏で、鎌倉末期
から室町初期の作と伝えられている。
幕末までこの場所には大般若経600巻を負嘗めた教室が存在したが、
明治の廃仏毀釈で経室は解体され仏像も一時他寺へ預けられた。
その後帰社した仏像は長らく仮安置されていたが、此の度の権の社改修整備の
事業として訳400年振りに新たな観音同を此の地に建立した。
平成十三年五月吉日
碑文
拝殿からの眺め。
以上。