JR木津駅から東へ10㎞のところに、笠置寺があります。

 

青マーク 和同開珎鋳銭所跡

赤マーク 笠置寺

 

 

 

地図上に4号線のマークがあるところが、笠置寺への分かれ道です。

 

 

住所:京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29

 

この道は、だいたい問題ありませんが、部分的に急坂で滑りやすく危険な

場所があります。

 

 

登っていくと、広い駐車場があります。 ここで停めて、歩いていきます。

 

 

 

案内板通りに進むと到着します。

 

 

 

 

 

 

山門をくぐったところに笠置型灯篭が置かれています。

 

 

----------------------------

 

笠置型灯篭

 

平安時代、笠置寺参道に建てられていたと伝えられているが、辞書等に

記述があるだけで現存するものは一基もなく、資料も残っていない 

「 幻の笠置型灯篭 」といわれていた。

 

この歴史敵財産を後世に伝えるため、インターネットで全国に資料を

求めたところ、愛知県岡崎市の石材業者の組合が大正時代に発行した本に、

形式や寸法が記載されていたことがわかり、今回復元した。

 

笠置寺奉賛会

                          ( 境内説明文 )

 

隣りに本尊の香炉が置かれています。

大きさを比べるものがありませんが、手水鉢に転用された香炉ですので、

大きさは想像できると思います。

 

 

----------------------------

 

本尊仏香炉

 

奈良時代我国最古最大御丈20m大磨崖仏宝前の香炉である。

この香炉大きさから見て、本尊弥勒菩薩がいかに大きいか

想像出来るだろう。

室町時代のものであるが、江戸期、手洗鉢に転用したのである。

 

笠置寺奉賛会

                      ( 境内説明文 )

 

真っ直ぐ進むと鐘楼があります。

実はこの手前に本坊があるのですが、写真を撮るのを忘れました。

 

----------------------------

 

笠置山寺縁起

 

笠置山寺の歴史は古く、その創建は不明であるが、出土品から見て、

飛鳥時代すでに造営されていたようである。

 

奈良時代大和大峰山と同じく修験行場として栄え、平安じだいには

永承七年 ( 1052 ) 以後世の末法思想の流行とともに、笠置山寺本尊

弥勒大磨崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰を受けた。

 

更に鎌倉時代、研究二年 ( 1191 ) 藤原貞慶 ( 解脱上人 ) が日本の

宗教改革者として、その運動を当寺から展開するとき、信仰の寺

として全盛を極めた時代であった。

 

しかし、元弘元年 ( 1332 ) 八月倒幕計画に失敗された後醍醐天皇の

行在所となり、幕府との弘法一ヶ月、九月二十九日全山焼亡、以後

復興ならず、室町時代少々の復興をみるも江戸末期には荒廃、

ついに明治初年無住寺となった。

 

明治九年、大倉丈英和尚錫を此の山に止め、復興に力を尽くすこと

二十年、ようやく現在の姿に山容を整えられたのである。

 

                       ( 境内説明文 )

 

鐘楼。

 

 

 

----------------------------

 

解脱鐘  ( 国指定文化財 )

 

鐘の基底部が六つに切り込まれた意匠は、日本に一つしかない。

中国の形式をもった鐘で、建久七年 ( 1196 ) 東大寺俊乗防重源和尚の

作である。

 

当時、日本の宗教改革者といわれた笠置寺解脱上人に、重源和尚は

この鐘と中国より持ち帰った紺紙金泥の大般若経600巻を寄進された。

しかし大般若経及びそれを納めた六角堂、鐘楼は元鳳の戦乱で焼亡

したが幸いに梵鐘は残ったものである。

 

                        ( 境内説明文 )

 

切れ込まれて六つに分かれた部分には、、文字が刻まれています。

 

 

左から

 

建久七年 丙辰 八月十五日大和尚南無阿弥陀仏

 

願令衆生 発菩提心

新鋳華鐘 遠振梵響

 

笠置山般若台

 

生滅々巳 寂滅為楽

諸行無常 是生滅法

 

( 梵字 光明真言 続き 一行九字 )

 

( 梵字 光明真言 続き 一行九字 )

 

----------------------------

 

梵鐘に込められた祈り

 

笠置寺の梵鐘には、この梵鐘を奉納した重源 ( ちょうげん 1121~1206 )

と、笠置寺を再興した貞慶 ( じょうけい 1155~1213 ) という、

鎌倉時代を代表する二人の僧の祈りが込められています。

 

梵鐘には多くの文字が表されており、底部には

 「 衆生 ( しゅじょう ) に菩提心 ( 悟りを求める心 ) を発させる 」

ことを願う銘文が、また頂部には重源が篤く信仰した文殊菩薩を表す

梵字が見られます。

 

貞慶は笠置寺の再興によって仏法が栄え、人々が菩提心をおこすことを

願っていました。

そんな貞慶の思いに寄り添うべく、重源は悟りの源である智慧を持つ

とされる文殊菩薩に祈りを捧げ、この梵鐘を奉納したのではないで

しょうか。

 

                        ( 境内説明文 )

 

てっぺんの吊るす部分には、梵字が刻まれています。

 

 

 

続く。