成海神社は、名鉄本線:鳴海駅から1㎞ほど北上した所に鎮座

されます。

 

 

 

鎮座地:愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山85

 

 

 

鳥居前の自販機には、「 御船流之式 」 の絵が描かれています。

 

 

 

鳥居をくぐったすぐ右に、境内社稲荷神社の参道があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳴海神社の参道に戻ります。

 

 

さざれ石。

 

 

 

右に手水舎。 手水鉢の底には、御神紋が刻まれています。

 

 

 

 

 

 

石段の途中にダルマ塚があり、たくさんのダルマが納められています。

 

 

 

 

 

ダルマの絵馬も納められています。

 

 

 

 

    

 

 

式内社 成海神社 尾張国 愛智郡鎮座

現社名 成海神社

御祭神 日本武尊 

      宮簀媛命  ( みやづひめのみこと、妃 )

      建稲種命( たけいなだねのみこと、宮簀媛命の兄、 ) 

            ( 日本武尊の東征に、副将軍として従った )

旧社格 県社

 

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成海神社

 

平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した 『 延喜式 』 に載る

「 愛智郡成海神社 」 にあたるとされる格式の高い神社である。

朱鳥元年 ( 686 ) の創建といわれ、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を

祭神とする。

 

初め天神山 ( 根古屋 ) に在ったが、応永 ( 1394~1428 ) のころ

安原宗範が鳴海城 ( 根古屋城ともいう ) を築くにあたり、この地に移された。

現本殿は棟札にあるように延宝5年 ( 1677 ) の建立と見られる。

 

名古屋市教育委員会

                           ( 境内説明文 )

 

鳴海神社HPの記事を転載します。

 

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朱鳥元年 ( 686年 )、成海神社の創建当初は今より南の地、扇川に面した

天神山に鎮座しておりました。

中世の東海道では、熱田神宮から鳴海までの区間は鳴海潟と呼ばれる

干潟があり、満潮時には海となる地形でした。

天神社には、日本武尊が鳴海潟で詠まれたという御歌が残っています。

 

「 鳴海浦を 見やれば遠し 火高地に この夕潮に 渡らへむかも 」

                    熱田大神縁起より

 

御歌にある 「 火高 ( 現在の大高 )」 とは尾張国造城館の所在地で、

日本武尊の后である宮簀媛命が住んでおられました。

東征からの帰還の際に、日本武尊は鳴海潟 ( 現在の鳴海駅北 ) から

対岸の火高丘陵まで船で渡ったことが伺えます。

 

室町時代の応永年間 ( 1394〜1528 ) に、安原備中守宗範の鳴海城築城

にあたり、当社は現在の乙子山に社殿が移されました。

旧社地である天神山には現在、飛地境内神社の天神社が祀られています。

 

御旅所として、毎年10月第2日曜日の例祭には神輿が渡御します。

また、先の神話に因み、御神霊が旧址に渡御し、木片一片を御舩として

扇川に流す御舩流神事が伝承されています。

 

明治元年の明治天皇御東幸の際には、御道筋の式内諸社へ官弊使御差立の

旨仰出され、同神社へは9月27日に侍従正四位下源朝巨植松雅言卿が

勅使として参向。

畏くも奉幣の嚴儀が執り行われ、同5年には郷社、昭和16年には県社と

なりました。

https://narumi-jinja.or.jp/about/

 

拝殿に向かって左前に境内社が鎮座されます。

 

 

秋葉社。

 

 

左から、子安社、北野社、風神社、愛宕社、今宮社、住吉社、八劔社、

    八幡社、氷上源太夫社。

 

 

左から、金刀比羅社、御井社、道祖祓島社、山神社、白山社、

    宝田社、熊野天白社、神明社。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

 

 

以上。