けいはんな線:学研北生駒駅から700mほど南に在ります。

 

 

 

奈良県生駒市上町4446番地

 

左上に 「 蛇喰集会所 」 という文字が見えます。

蛇喰は 「 じゃはみ 」 と読みます。 

「 はむ 」 は 「 噛む 」 の古語で、「 はむし ( マムシ ) 」、

「 はも ( 魚 ) 」の名前は 「 はむ 」 が由来です。

 

ということは 「 蛇喰 」 は 「 何かを噛む蛇 」 の伝承があるのかと

期待したのですが、富雄川に浸食された地形を砂崩 ( じゃぐえ ) といい、

  砂食 ( じゃぐい ) → 蛇食 ( じゃぐい )  →蛇喰 ( じゃぐい )   

  → 蛇喰 ( じゃはみ )

と転訛したとのこと、残念。

 

参道の入口は交差点にあります。

 

 

 

 

 

 

左に地蔵堂。延命地蔵菩薩が祀られています。

 

 

 

法華院へ。参道の右には、蓮が咲いています。

 

 

 

 

 

 

御本尊は愛染明王。但し撮影不可。

 

 

薬師院へ。

 

 

 

御本尊は阿弥陀如来。撮影不可。

 

 

円生院・護摩堂へ。

 

 

 

 

御本尊は不動明王。撮影不可。

 

 

 

長弓寺では、法華院・円生院・薬師院という3つの寺院で、

国宝である本堂や境内地を護持しています。

寺内にある寺院を塔頭 ( たっちゅう ) 寺院といいます。

 

 

本堂へ。

 

 

 

 

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長弓寺について

 

奈良時代、土地の豪族・小野真弓長弓 ( おののまゆみたけゆみ )と

その養子であった長麿 ( ながまろ ) が、若年の聖武天皇に従って

このあたりで狩猟をした時のこと、森より一羽の怪鳥が飛び立ったのを

見て、親子でこれを追っていました。

この時、養子である長麿が誤って父・長弓を射殺してしまいました。

 

聖武天皇はこのことを深く哀しみ、行基に命じてこの地に小さな御堂を建て

十一面観音をおまつりになって長弓菩提を弔いました。

また、自らも仏教に帰依され、この寺を深く信仰なさいました。

時に神亀5年 ( 728年 )、聖武天皇が28歳の頃だと伝えられています。

 

本尊十一面観音の頂上の仏面は、聖武天皇の弓の柄で彫られているという

逸話が残っています。 

平安時代には、桓武天皇の頃、藤原良継が伽藍を整備し丈六 ( じょうろく )

の阿弥陀、釈迦、四天王を安置して崇敬されました。

 

また、弘法大師がこの地を訪れた際も、善女龍王を感得されたと伝えられて

います。

その後堀川天皇が、伽藍を修復し大般若経六百巻を施入して、世の平安と

諸人の快楽 ( けらく ) を祈られました。

しかし、平安末期・安徳天皇の御代には火災にあったと、東大寺資材帳に

記録があります。

 

鎌倉時代の弘安2年 ( 1279年 ) には現本堂 ( 国宝 ) が建立

されましたが、当時は蒙古の来襲で寄進が意の如く集まらず約60年間、

素屋根であったようです。

現存する本堂は、この時に建立されたもので、今は檜の皮で立派に

屋根が葺かれています。

 

その後室町時代の応仁の乱で、山名宗全の落人による重宝破壊、

戦国時代には織田信長によって寺領が没収、明治の廃仏毀釈に

よって寺運は衰退の一途をたどりましたが、昭和10年の大解体修理を

経て今も本堂が現存しています。

 

また、長弓寺は大和十三仏霊場の「第九番札所」として、一周忌の守り仏、

午年生まれの仏、勢至菩薩 ( せいしぼさつ ) をお祀りしています。

http://chokyuji-yakushiin.com/hondou/index.html

 

大師堂。

 

 

こちらは撮影不可の注意書きはありませんでした。

 

 

大師堂に向かって左に如意輪観音が祀られています。

 

 

西国三十三ヶ所の石仏。

 

 

以上。