矢田寺は、JR関西本線:郡山駅、近鉄橿原線:近鉄郡山駅からまっすぐ

西へ向かったところに在ります。近鉄郡山から5㎞です。

 

 

 

住所:奈良県大和郡山市矢田町3506

 

矢田寺に駐車場はなく、参道に民間の駐車場があります。

無人で500円。

 

 

駐車場には飛び出し坊や。

 

 

 

参道には大きなお地蔵さんが安置されています。

 

 

矢田寺は日本最古の延命地蔵をお祭りしているお寺だそうで、

「 矢田のお地蔵さん 」 と呼ばれているそうです。

( 日本最古の地蔵菩薩 ではありません。)

 

 

 

踊り場的な所にお地蔵さん。

 

 

 

 

 

準別格本山 大門坊。

 

 

 

 

 

膨大な絵馬が掲げられています。

 

 

 

 

本堂へ。

 

 

手前にあじさい園があります。

 

 

 

 

 

矢田寺は 「 あじさい寺 」 として知られています。

矢田寺 HPの記事を転載します。

 

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あじさい寺 矢田寺とあじさい

 

矢田寺のあじさいは、本尊様であるお地蔵さんにちなんで、昭和40年頃から

植え始めました。

あじさいの花びらのひとつひとつが雨に打たれ、さまざまに色が移ろいながら、

私たちに仏教の 「 諸行無常 」 の心を伝えてくれています。

また、あじさいの丸い花は、お地蔵さんの手に持っておられる宝珠の形でも

あります。

 

あじさいの別名、「 オタクサ 」

 

あじさいはアジサイ科の植物で、日本の暖地に自生するガクアジサイを母親

として、 日本で生まれた園芸品種です。

学名の変種名 「 オタクサ 」 は、 江戸後期に日本の動植物をヨーロッパに

紹介した、長崎出島のオランダ商館の医官シーボルトが、 帰国後、

日本滞在中の妻 「 おたきさん 」 を偲んでつけた名前と言われています。

 

日本特有の花木、あじさい

 

あじさいは、日本特有の花木です。

諸外国にその野生種はなく、 西洋あじさいといわれるものは、江戸後期に、 

上記のシーボルトなどによって欧州へ送られたものが、改良されたものです。

また、梅雨時にさまざまに花の色を変えながら咲き続けるその美しさから、 

古来より数々の詩歌にも詠み込まれています。万葉集からご紹介しましょう。

 

あじさいの  八重咲くごとく  八つ代に をいませ我が背子  見つつ偲ばむ

                         ( 左大臣 橘諸兄 )

 

言問はぬ  木すらあじさい  諸弟らが 練りのむらとに  欺かれけり

                         ( 大伴家持 )

 

したがって、あじさいはすでに奈良時代以前から栽培されていたことが

わかります。

http://www.yatadera.or.jp/ajisai.html

 

あじさい園の中に辰味噌なめ地蔵。

 

 

 

奈良県のHPに 「 奈良の昔話 」 というコーナーがあります。

味噌なめ地蔵の記事を転載します。

 

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味噌なめ地蔵

 

生駒山地の東麓に、寄り添うように横たわる矢田丘陵。

標高300mほどの低い山並みだが、緑豊かな中腹に白鳳から奈良時代の

開基とされる古寺が点在する。

今回はその一つ、矢田寺 ( 金剛山寺 ( こんごうせんじ )) に伝わる

村人に優しいお地蔵さんのお話。

 

 

昔、矢田寺の麓に、ある農家のお嫁さんが住んでいた。

昔はどの家でも味噌は家で作っていたが、その年のお嫁さんの味噌は、

どうしてもうまくいかなかった。

 

ある夜、不思議な夢をみた。

枕元にお地蔵さんが立たれ、

 「 そんなに困っているなら、一度私の口に味噌を塗って食べさせておくれ。

   おいしい味噌に味付けしてあげよう。」

と言われた。

 

半信半疑のお嫁さんは、翌日、いつもお参りしている矢田寺へ行ってみると、

夢で見たのと同じお地蔵さんがおられるではないか。

早速家から味噌を持ってきて、そのお口に自分の味噌を塗りつけた。

 

数日して、味噌桶の蓋をとって出してみると、おやおや、何と、味噌は本当に

おいしくなっていた。お嫁さんは大喜び。

そのお地蔵さんは 「 味噌づくりを助けてくださる有難いお地蔵さん 」

と評判になったそうだ。

 

 

このお地蔵さん、今も矢田寺本堂の石段下の北側に 「 味噌なめ地蔵 」

として赤いよだれかけをかけ、優しいお顔で立っておられる。

今も味噌をお供えしたり、口に味噌を塗っている人もおられるとか。

 

大和郡山の市街地と指呼 ( しこ ) の間 ( かん ) にありながら、静かで

山寺の風情漂う矢田寺。

振り返れば、田植えを待つ棚田が広がり、瓦屋根に土壁の落ち着いた

農家のたたずまい、また遠くには青垣の山々も望める。

 

建立は、天武天皇の護持僧智通 ( ごじそうちつう )。本尊は地蔵菩薩。

境内でも多くのお地蔵さんが、悩める人々を救おうと今日も静かに待って

おられる。

https://www.pref.nara.jp/49865.htm

 

 

 

本堂に向かって左に手水舎。

 

 

 

 

矢田寺HPの記事を転載します。

 

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矢田寺の歴史と由来 ~ 日本のお地蔵さま発祥の地 ~

 

お地蔵様とあじさい

 

「 矢田のお地蔵さん 」 で親しまれている矢田寺 ( 矢田山・金剛山寺 )は、

城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、 

日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。

 

今から約1300年前、大海人皇子 ( おおあまのみこ…後の天武天皇 ) が、

壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、

智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。

 

当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 弘仁年間に、

満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えて

きました。

 

お地蔵さんは...

 

お地蔵さんは、一般的に子供を守る仏様だと思われていますが、 もともとは、

仏教が生まれるよりもっと古い時代に信仰されたインドの 「 大地の神様 」 

が起源で、 「 地上に存在する生命あるものの全てをやしなってくださる者 」

という意味を持っています。

 

正式には 「 地蔵菩薩 」 という名前で、 梵語では 「 クシチガルブハ 」 

という難しい呼ばれ方をします。 

お釈迦様が亡くなってから、弥勒菩薩が悟りを開かれて法を説かれるまでの

56億7千万年の無仏の間に出現され、 その身を種々の姿に分身して

衆生を救済することが、お地蔵さんの使命とされています。

 

お地蔵さんの型

 

各地のお地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠を持たれている

スタイルなのですが、 矢田寺のお地蔵様は、そのほとんどが右手の親指と

人差し指を結んだ独特のスタイルで、 「 矢田型地蔵 」 と呼ばれています。

 

その姿が、あたかも阿弥陀如来の来迎印のようであることから、 

このスタイルのお地蔵様は、地蔵・阿弥陀両方の功徳を備えておられると

言われています。

 

また他にも、お地蔵さんには、何も持たない型や、勝軍地蔵と称する、 

鎧甲に身をかため、馬に乗って幡をひるがえす、勇ましい像もあります。

http://www.yatadera.or.jp/about.html

 

賓頭盧尊者。

 

 

本堂の後方には、坊やお堂があります。

 

 

本堂に向かって右に春日神社が鎮座されます。

 

 

 

本殿は室町時代のもので、重要文化財。

 

 

本堂からの眺め。

 

 

 

以上。