歩道に描かれていた道案内。
臨在寺は、今川義元公の兄:氏輝 ( うじてる ) 公の菩提寺として創建され、
氏輝公・義元公のお墓が祀られています。
家康公が子供の頃、過ごしたお寺でもあります。
JR静岡駅から北へ3㎞のところにあります。
浅間神社からだと、北へ1.2㎞のところにありあます。
静岡県静岡市葵区大岩町7-1
道端にあった、「 駿府まちあるきMAP 」。
静岡駅から浅間神社にかけて、家康公一色でありました。
そもそも、駿府は義元公が治めていた土地でした。
ピクシブ百科事典 今川さん の記事を転載します。
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今川さんは 「 今川義元 」 をモデルにしたキャラクターであるが、
いつも目に涙を滲ませている。
その理由は、「 海道一の弓取り ( 東海道で最も強い武将 )」 と呼ばれ
領国経営に優れていたが、桶狭間の戦い ( 1560年 ) で織田信長に
敗れて以来、400年以上も世間から 「 阿呆 」 「 公家かぶれ 」 と
バカにされてきたのが悔しくて泣いている。
( 本人は泣いてないと言い張っている )
しかしその汚名を返上すべく2015年に生まれ変わり (?)、今川義元の
功績と知名度を上げるために 「 家康くん 」 や 「 直虎ちゃん 」 に
対抗すべく反撃ののろしを上げ、静岡市内の祭等のイベントで奮闘中!
身体はプラモデルで出来ており、首を落としても死なない。
https://dic.pixiv.net/a/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E3%81%95%E3%82%93
マンホールにも今川くんが描かれています。
市の鳥:カワセミがホース・網・AEDを抱えて走っているマンホール。
参道。
広大です。
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臨済寺 ( 大竜山臨済寺 )
臨在寺は、今川義元の兄氏輝の菩提寺で、義元の軍師太原雪斎
( たいげんせっさい ) 長老が、師の大休禅師を迎え開山した。
雪斎は、今川義元の執権職として、帷幕 ( いばく、軍議する場所 ) に
縦横の機智を振るった人である。
義元が、駿、遠、三の太守としてt歩鵜飼に勇を振るったのも、雪斎の
力によるところ大で、この時代がまた、今川家の最盛期でもあった。
徳川家康は、竹千代時代の天文十八年 ( 1549年 )、八歳のときから、
今川家の人質としての十二年間、この太原雪斎から文武両道を学んだ
のである。
後年、家康が天下を治め徳川三百年の基礎をつくった素地は、この
幼年時代に培われたといえる。
雪斎は弘治元年 ( 1555年 ) 十月十日、六十歳でこの世を去った。
雪斎の没後五年の永禄三年五月、桶狭間の「合戦で義元が敗死すると、
今川家の勢力は急激に衰えやがて滅亡する。
今川家は雪斎によって興り、雪斎を失って衰亡したといえる。
境内墓地の最上段には、氏輝公と雪斎長老の墓がある。
主な文化財 庭園 ( 国の指定名園 )
大方丈 ( 国の重要文化財 )
静岡市
( 境内説明文 )
仁王門前に到着したのは8時半。開門時間は9:00~16:00。
臨済寺は修行寺であり、たとえ開山時間でも見学できる部分は限られて
いますので、本堂を遥拝して変える事にしました。
仁王門からの眺め。
以上。