飛び出し坊や&お嬢ちゃん。

 

 

 

大屋都姫神社は、JR阪和線:紀伊駅から南へ1㎞。

力侍神社から西へ1.5㎞のところに鎮座されます。

 

青マーク:山口神社

赤マーク:大屋都姫神社

 

 

鎮座地:和歌山県和歌山市宇田森59

 

 

 

 

社殿に向かって右に手水舎。

 

 

 

 

 

    

 

式内社 大屋都姫神社 ( 名神大 月次 新嘗 ) 紀伊国 名草郡鎮座

現社名 大屋都姫神社

旧社格 県社

 

和歌山建神社庁HPの記事を転載します。

 

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主祭神 大屋都姫命 

配祀  伊太祁曽神社 抓都姫神社

 

『 日本書記 』 神代ノ巻一に

 

又素盞鳴尊え子號曰 五十猛命 妹大屋津姫命次 抓津姫命凡三神

亦能分布シテ木種 奉 渡シ 於紀伊國 也 舊事紀地神本紀ニ曰

五十猛握神亦云 

大屋彦神 次大屋津姫神次抓津姫神已上三柱並坐 紀伊國造ノ齋祠ノ神也

 

とある。

 

當社古由によれば、

 

紀伊國名草郡宇田森村ニ鎮座 大屋津比賣神社祭神 大屋津比賣命 

延喜式神名帳ニ所載 大屋津比賣神社 名神大 月次 新嘗 延喜式神名祭

二百八十五 紀伊國十一座 内大屋津比賣神社 一座有 

右座毎ニ五尺綿一屯絲一約五色薄衣各一尺木綿二兩麻五兩裏料蔗廿枚若有

大者加五丈五尺以布 端代絲一 三代實録ニ曰

貞觀元(859)年正月廿七日奉授從五位下大屋津比賣神從四位下

 

大屋都姫神社の御祭神は天照皇大神の皇弟素戔鳴尊の神女で五十猛命の

妹神である。

この神は妹神の都麻都姫神命と御父神の勅を奉じ給い、御兄五十猛命の

神業を助け八十木種を筑紫の国より播き始め、大八州国島の八十国残る隈なく

播種し終りて、当地に鎮まり坐す木種播殖に著大な御功績のある神であり

樹木の守護神として御神徳もあつい。

 

なかでも大屋都姫命は住宅・船・車・木具・薪・炭など木製品の守護神として

崇敬されている。

 

仁明天皇嘉祥3(850)年・清和天皇貞観元(859)年に神階の御授進あり、

その後寛治元(1087)年、堀河天皇熊野御行幸の時、特に御奉幣あり。 

次いで長治元(1104)年に18町歩の神田、石町4面の社地を御寄進あったが

大水の乱、天正の兵火にさしも宏壮を極めた宮居も灰燼に帰した。

 

『 延喜式神名帳 』 に 「 紀伊国名草郡大屋都比売命、名神大月次新嘗 」 とあり、

『 本国神明帳 』 に従一位大屋大神、

『 三大実録 』 に貞観元年正月27日奉授従五位下大屋都比売神従四位

とある。

『 本国神明帳 』 に従一位とあるのは貞観以降増階のあったものである。

 

当社は兄神五十猛命、妹神都麻都姫命とともに日前国懸社地に鎮座あるも

垂仁天皇16(紀元前14)年に山東の荘、亥の森へ遷座し文武天皇の

御宇まで凡そ700年余り鎮座された後、大宝2(702)年三神を三所に

分遷したとき北野村古宮の地に遷り、更に今の宇田森神ノ木の地に遷座された。

 

明治6年4月村社に列し、明治13年7月に縣社に昇格せられた。

https://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1014

 

 

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天照大御神と大屋都姫神社の関係について

 

当神社の御祭神である大屋都姫命の父親は素戔嗚尊で、天照大御神の弟

にあたることから、天照大御神と大屋都姫神社の御祭神は伯母・姪の関係

になります。

 

また大屋都姫命の兄神は和歌山市山東に鎮座します伊太祁曽神社の

御祭神で、古に兄妹で日本の国中に木の種を撒き終わりて木ノ国に鎮まった

とされています。

 

これらの御祭神は樹木の守護神として御神徳も篤く、住宅、舟、車、木具、

薪炭などの木製品の守護神として崇敬されています。

 

                           ( 境内説明文 )

 

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緑豊かな紀伊国を創りし木の兄妹神

 

豊かな緑に包まれる和歌山県。

紀伊国 ( 木国 ) と呼ばれてきたそのルーツは、まさに樹木でした。

そしてこの地には、日本列島を緑なす国へと変えていった兄妹神の物語が

あったのです。

 

天磐戸の騒動が一件落着したのち、高天原 ( 天上界 ) の神々は相談し、

乱暴を極めた素戔嗚尊を高天原から追放することにしました。

素戔嗚尊はやがて出雲国に降臨し、八岐大蛇 ( やまたのおろち ) を退治

します。

 

このとき八岐大蛇のシッポから一振りの宝剣を得るのですが、これが

三種の神器のひとつ、天叢雲劔 ( あめのむらくものつるぎ、後の草薙剣 )

です。

 

出雲国への降臨については、日本書紀に別の話しも伝わっています。

素戔嗚尊は息子の五十猛 ( いたける ) 命を連れて、初めは新羅

( 当時の朝鮮半島にあった国のひとつ ) に降臨します。

しかしその地が気に入らず、海路で出雲国に入ったというのです。

 

この五十猛命は、素戔嗚尊とともに最初に降臨した際、たくさんの樹木の

種を持っていました。その種は新羅の地では育たなかったため、種を持って

日本へ戻り、筑紫国 ( 福岡県 ) あたりから順にその種を蒔き、日本列島を

緑なす国へと変えていきました。

そうして最終的に、紀伊国にたどり着いたそうです。

 

これが紀伊国のルーツといわれています。

古事記では紀伊国を 「 木国 」 と表記しています。

当時から和歌山県は、木の豊富な地域として知られていたのでしょう。

 

 

五十猛命には、大屋都姫と都津都姫という妹神がいました。

彼女たちも兄と同じように、沢山の樹木の種を蒔いたそうです。

紀伊国に鎮座した五十猛命は和歌山市にある伊太祁曽神社に祀られ、

木の神として崇められています。

 

また、妹神二神と合わせ、三神は全国の林業関係者から伊太祁曽三神と

呼ばれており、この地が木の神の住む国、つまり 「 木の国 」、

やがて転じて紀伊国となったそうです。

 

日本書紀第五巻の異伝では、素戔嗚尊と樹木に関する記述もあります。

降臨した素戔嗚尊は

 「 日本に浮宝 ( うくたから、船 ) がないのはよくない 」

と言って、ひげを抜いて蒔くとそれが杉になったそyです。

 

また、胸毛は檜になり、尻の毛は槇に、眉毛は楠にと、たくさんの種類の

樹木を生み出しています。

そうして杉と楠は船の用材に、檜は宮殿の用材にせよ、木の実をたくさん

蒔き植え食料とせよと言ったのでした。

 

                          ( 境内説明文 )

 

体には様々な毛があるのに、わざわざマイナーな尻の毛を選んで槇の元

にしたのか・・・?

 

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総社について

 

平安時代の律令制において、国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内

 お定められた神社を巡って参拝することであったが、国府の近くに特定の

神社を設け、そこを詣でることで純貝の手間を省くことが制度化された。

その特定の神社が総社と呼ばれる。

 

総社をお参りすれば、その国の全てのじんじゃに鎮座される神々を参拝した

ことになる、と今でも言われる。

今も総社めぐりと称して紀伊国の総社である大屋都姫神社に参拝される方が

県内外から訪れています。

 

紀伊国総社 大屋都姫神社

 

                           ( 境内説明文 )

 

大屋都姫神社が総社であることは、説明文を読むまで知りませんでした。

そうすると近所に国府があるはずで、そういえば次に参拝する神社は

「 府守神社 」 。その近くに国府があるに違いない。

 

鎮座される地は、宇田森遺跡を始めとする複数の遺跡があり、古代から人が

住む開けた土地でありました。

 

 

宇田森遺跡。

 

 

 

出土した宇田森銅鐸や土器。( 境内説明板より )

 

 

 

 

 

 

本殿に向かって左に都麻都姫 ( つまつひめ ) 命 ( 妹神 ) が鎮座されます。

 

 

本殿に向かって右に五十猛 ( いたける ) 命 ( 兄神 ) が鎮座されます。

 

 

社殿に向かって左前に若宮神社が鎮座されます。

 

 

 

    

 

社殿からの眺め。

 

 

 

以上。