相賀 ( おうが ) 八幡神社は、南海高野線:御幸辻 ( みゆきつじ ) 駅から東へ
600mの所に鎮座されます。
鎮座地:和歌山県橋本市胡麻生237
保育園の前で遭遇した飛び出し幼児。
参道の手前で遭遇した雑な飛び出し坊や。
境内の手前に藤棚がありました。
おそらく相賀 ( おうが ) 八幡神社が所有されているものと思われます。
何か奇妙、と思ったら幹がねじれていました。
若い頃からねじって育てていたのではないかと思うのですが、もしかしたら
このようにねじれる幹の藤が在るのかもしれません。
右に手水舎。
社務所の前に置かれていた令和五年用の絵馬。
かなり珍しいデザインの中門です。
通り道の両側が縁側のようになっています。
神事に関係があるのかもしれません。
拝殿。
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相賀 ( おうが ) 八幡神社 胡麻生 ( こもう ) の八幡さん
ご祭神 誉田別尊 ( ほむたわけのみこと、応神天皇 )
足仲彦尊 ( たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇 )
気長足姫尊 ( おきながたらひめのみこと、神功皇后 )
ご由緒
古くは住吉大社の神々をお祭りしていたようである。
「 紀伊賊風土記 」 に
「 ( 伊都 ) 郡中の古詞五社の一つであり、村中十一ヶ村の氏神なり。
・・・即ち此れ八幡宮なるべし・・・ ( 相賀 ) 庄中の大社なり 」
とあり、 九世紀頃、この地の豪族・坂上氏が石清水八幡宮から八幡神を
勧請して合祀したと云われている。
天正九 ( 1581 ) 年の春、織田信長の高野山攻めの後、高野山衆徒の反撃
の際、当社も焼き討ちに遭い焼失。
天正十四 ( 1586 ) 年牲川海部氏によってこれを再興造営したと伝えられている。
時勢の変遷にもかかわらず、 「 ごもうの八幡さん 」 と親しみ崇敬されている。
( 境内説明文 )
本殿は、鮮やかに彩色されています。
本殿に向かって右に境内社が鎮座されます。
左:瓦若宮大明神 ( 仁徳天皇 )
右:弁天社 ( 弁財天女 )
隣に五社大明神が鎮座されます。
左から、宗像三女神、大己貴命、大山津見神、豊受大神、天照大神。
拝殿に向かって右に八王子神社と猿田彦神社が鎮座されます。
猿田彦神社の社殿。
拝殿からの眺め。
以上。