船岡神社は、南海本線:羽倉崎駅から南へ1㎞、民家がパラパラと存在する
中に鎮座されます。
鎮座地:大阪府泉佐野市南中岡本276番
船岡神社が鎮座される船岡山。
割拝殿です。
左に手水舎、右に御神木。
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御祭神 建速須佐男命 ( たけはやすさのおのみこと )
武甕槌命 ( たけみかつちのみこと )
豊受姫命 ( とようけひめのみこと )
由緒
里伝によると、神功皇后が三韓より凱旋の時、御船を岡本浦にお停めに
なったが、偶々暴風雨の為め出帆することが出来ないので、皇子誉田別尊を
奉じて上陸されたため、後世この神跡に当神社を創立した。
神社附近東南に綱丘と称する小阜あったが、現在大字岡本の字地となり、
又西方に碇山と称する小阜あったが、目下田地となる。神社の東南に
矢の淵と称する小池あったが、現在は畑地となる。
尚文化年間日根野村より同村鎮座日根神社の御旅所なので、船岡山は
日根野村の所有であると主張し、訴訟二十ヶ年におよんだが、当神社の
氏子山下家より船岡神社の所有である確実な記録が出た為め遂に勝訴と
なった。
( 大阪府神社銘鑑 )
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船岡山
鎮座されている船岡山には古くからの言い伝えが残っています。
大昔、第十四代仲哀天皇の御妃神功皇后が三韓征伐後、お子の応神天皇と
凱旋され、船を岡本浦にお泊めになった時、暴風雨のため出航できず船岡山
に上陸され、安全な安松の松原で風雨が収まるのを待たれたお話し。
神功皇后が三韓征伐の帰途、皇后に助力し戦ってきた鉄の鎧を付けた神様が
船岡山に上陸し、帰られた社を祀ったのが溝口大明神で ( 比売神社 ) で、
日根神社の始まりと伝えられているお話しなど、古い歴史に彩られた山です。
江戸時代から日根神社の御旅所として有名で、昭和三十三 ( 1958 ) 年まで
五月の 「 まくら祭り 」 には神輿やまくらのぼりの渡御が行われ、大変な
賑わいでした。
神社の歴史
当神社の創建は詳らかではありませんが、鎌倉時代後期には岡本村があり、
ご鎮座されていました。その後幾多の戦乱を乗り越え、江戸時代には
「 祇園牛頭天王社 」 と称され、明治になり 「 船岡神社 」 と改まりました。
( 境内説明文 )
「 鉄 」 の鎧 というのは 「 半島の 」 という意味なのかな?
「 日根神社の始りは姫神社。」 と書かれておりますが、その 「 姫神社 」 が
どちらに鎮座されているのかは書かれておりません。
ネットに検索したら、船岡神社 ( 青色マーク ) から北東へ1㎞のところに
鎮座される八幡神社に ( 赤マーク ) が付きました。
とはいうものの、八幡神社に姫大神は祀られておりますからね...
今度参拝してみます。
姫大神
本殿からの眺め。
船岡山に登ってみました。標高25.5m。
日本には10の 「 船岡山・舟岡山 」 があるそうですが、その中で一番
低いのだそうです。
登り始めたらすぐに頂上。
以上。