近鉄大阪線:河内山本駅から北東へ1.5㎞。
東高野街道 ( 国道170号線 ) 沿い、玉祖 ( たまのおや ) 神社の
一之鳥居が立っています。
赤いマーク: 玉祖神社参道の入口
青いマーク: 都夫久美 ( つぶくみ ) 神社
都夫久美 ( つぶくみ ) 神社の鎮座地:八尾市水越8丁目
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松の馬場
高安の馬場ともいう。
この東高野街道から玉祖神社までの参道のうち、街道に面して立っている
石の大鳥居から東へ入って500mの間には、昔は美しい松並木であった。
しかし寄る都市並みと大気の汚染によってか、年々枯死するものあり、
今は無い。
この地は寛正元年 ( 1460 )、畠山政長 と義就 ( よしひろ ) の争いの
時、義就は大和竜田にいた政長を攻めるため、ここに出陣。
二手に分かれて竜田に向かったが、神南●山の大合戦となり敗退した。
八尾市教育委員会
( 説明文 )
畠山政長 と畠山義就の争いとは、応仁の乱の始まりの争いです。
玉祖神社参道です。信貴山方面に向かっています。
説明文によれば、かつては美しい松林だたっところ。
八尾市ではなく、大阪府のマンホール。
中央に、大阪府広報担当副知事 「 もずやん 」、左に銀杏の葉、
右に梅の花が描かれています。
こちらは、おなじみ八尾市のマンホール。
中央に糸車で糸を紡ぐ姉さんかぶりのお姉さん。
周囲に市の花:キクと河内木綿の実が描かれています。
都夫久美 ( つぶくみ ) 神社は、突然現れました。
御神域の左に手水鉢。
よく見かける平成デカ頭タイプ。平成五年に奉納されています。
式内社 都夫久美神社 河内国 高安郡鎮座
現社名 都夫久美神社
鎮座地 八尾市水越8丁目
御祭神 宇摩志摩治命 ( うましまじのみこと )
軻遇突智命 ( かぐつちのみこと )
大歳神 ( おおとしがみ )
旧社格 村社
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都夫久美神社
延喜式神名帳では小社に列せられており、古代の大豪族物部氏の祖
宇摩志摩治命を祭神とする。
ヅブクミという社名は、物部氏の一族積組連に由来する。
( 新撰姓氏録による )
近世頃には香森大明神と呼ばれ社地を中の森と言っていた。
この神社の西方には弥生時代の集落跡である水越遺跡が広がっており
その関連がうかがえる。
平成4年3月 八尾市教育委員会
( 境内説明文 )
八尾市観光データベースHPの記事を転載します。
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明治40年12月6日、神社統合で玉祖神社へ移され、社殿は佐麻多度神社の
境内末社である天満宮の本殿として移築された。
その後昭和49年10月13日、65年ぶりに社殿を新築、復興し、ご神体も
玉祖神社から帰った。
この神社にも力石が2つ残っている。
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1250
明治の一村一社で合祀となり、時代が下がって昭和49年に分祀というのは
珍しいですね。
この力石も長方形です。
社殿からの眺め。
以上。