飛鳥戸神社は、近鉄南大阪線:上ノ太子駅から300mほど北に、葡萄畑の中に

鎮座されます。

 

 

竹内街道を西に向かっていると、飛鳥ワインの案内板がありました。

 

 

 

飛鳥ワインは、大阪ワインのHPで見たことがあります。

「 大阪ワインなのに飛鳥ワインとは、これいかに?」 

という感じですが、この辺りの字名は飛鳥で、水歯別命 ( みずはわけのみこと、

後の反正天皇 ) が名付けられた 「 近つ飛鳥 」 に由来します。

 

再び、竹内街道を進みます。

 

 

 

 

飛び出し坊やの向こう側に、飛鳥戸神社の案内板がありました。

 

 

 

杜が見えました。

 

 

 

 

 

 

周りはワイン用の葡萄畑です。

 

 

 

    

 

割拝殿のドアを開けて進みます。

 

 

 

式内社 飛鳥戸神社(名神大 月次/新嘗)河内国 安宿郡鎮座

現社名 飛鳥戸神社

鎮座地 大阪府羽曳野市飛鳥1023番地

旧社格 村社

 

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飛鳥戸神社

 

御祭神  琨伎王命 ( こんきおうのみこと )

    素戔嗚尊 ( すさのおのみこと )

 

由緒

 

当神社は延喜式内の神社で、昔の駒ヶ谷村字飛鳥にあり、式に安宿郡となって

いるものであるが、元の古市郡に属し、村の東方字湯山に鎮座して天王宮と

称した。

 

其の創建は不詳であるが、姓氏録によると、飛鳥戸造は百済国主比有王の男

琨伎王から出ているによって、琨伎王を祀っているという説もある。

 

三大実録には 

 

「 清和天皇貞観六年八月十五日河内国無位飛鳥戸神社に正四位下を授けられ

  翌二年十月十五日には正四位下飛鳥戸神社を官社に列せられ、更に

  陽正天王元慶四年八月二十九日には飛鳥戸神社に神領と田一町を賜りて

  春秋祭礼の費に当てられた。

  これ氏人主税助外従五位下百済宿福有雄主殿権允正六位上御春朝臣

  有世等之請によりしがためなり。」

 

とある。

 

年配不詳であるが、宮寺もあり常林寺と称した。

寺は僧行基の開基にて、聖武天皇の勅願所になり、今は廃寺になっている。

明治四十年四月二十日壷井八幡宮のけいだいに合祀され、大東亜戦争後

元の地に鎮まった。

 

                          ( 大阪具神社名鑑 )

 

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飛鳥戸神社

 

飛鳥戸神社は、飛鳥上の段の一画に鎮座する延喜式内の明神大社であり、

雄略朝に渡来伝承をもつ百済系飛鳥戸造一族の祖神である飛鳥大神

( 百済の琨伎王 ) を祀っている。

 

平安時代初期には、子孫にあたる百済宿祢や御春朝臣たちの働きかけにより、

貞観元年 ( 859年 ) 八月に無位から正四位下を授けられ、翌二年従月に

感謝に列し、元慶四年 ( 880 ) 八月には春秋の祭礼費として神領田一町が

至急されている。

 

                           ( 境内説明文 )

 

社殿の力士。

 

 

社殿からの眺め。

 

 

 

以上。