吉水神社から南へ向かっています。
200mのところに勝手神社が鎮座されます。
レ点が勝手神社。
勝手神社の前に、右に向か道路があります。
この道路を進んでいくと、村上義隆公のお墓 ( Sマーク ) があります。
村上彦義光は護良親王 ( もりよししんのう ) に従って北条幕府と戦い、元弘三年
( 1333 ) 吉野城が落ちたとき、護良親王の身代わりとなって蔵王堂前二天門の
高やぐらの上で腹かき切って果てました。
義光の子義隆も、父とともに死のうとしましたが、護良親王を守って落ち延びるように
さとされ、高野山に向かう途中、追ってきた敵と戦い、自害して果てました。
村上義隆公のお墓は、崖の上にありました。
勝手神社に戻ります。
勝手神社の社殿は燃えて亡くなり、現在は吉水神社に仮遷座されています。
境内には何もありません。
拝殿があった所の前に、小さな祠があります。
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勝手神社は、平成十三年九月二十七日に残念なことに、不審火により焼失しました。
塔神社は、元 「 吉野山口神社 」 とも 「 勝手神社 」 とも称された由緒のある
式内社で、「 五節の舞 」 の発祥地と伝えられる歴史敵にも大変貴重な文化財で
ございます。
創建は、不明なるも一説によれば、考安天皇六年 ( 紀元前386年 ) と伝えられ、
御祭神は天忍穂耳命 ( あめのおしほみみのみこと )
大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
久々能智命 ( くくのちのみこと )
木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
苔虫命 ( こけむしのみこと )
葉野姫命 ( かやのひめのみこと )
の六神で、「 勝運 」「 芸能 」「 山の神 」「 花の神 」 の御神徳が厚く古来より
全国の人々から崇敬されてきました。
大海皇子 ( おおあまのおうじ ) が境内で事を奏でたところ、袖振山から天女が
舞い下りて舞ったり、静御前が捕らえられ境内で舞をさせられた舞塚があることでも
有名です。
また、建物は 「 三間社流造り 」 で檜皮葺の日本でも数少ない社で、厳かで優美な
ために県の有形文化財に指定されています。
つきましてはこの吉野山におこしの皆様方に、この大切な文化財を再建して後世に
遺し伝えるために深くご理解を戴きまして、何卒格別の御協賛を賜りますように
ここに懇願申し上げる次第でございます。
ご寄付の受付は吉水神社にて行っています。 ( ご朱印も賜っています。)
なお、「 御神体 」 は復興まで吉水神社に仮遷座されていますので、御参拝ください。
敬白
( 境内説明文 )
檜皮葺の三間社流造のお社は少ないといえば少ないですが、「 日本でも数少ない 」
というのは言い過ぎで、そこそこ見かけます。
このお社には、あまり祀られない神々が祀られておりますので、記述しておきます。
天忍穂耳命 天照大神と素戔嗚尊の誓約でお生まれた第一子。瓊瓊杵尊の父神。
大山祇命 伊邪那岐命と伊邪那美命の子神で山の神。素戔嗚尊の義理の父神。
久々能智命 伊邪那岐命と伊邪那美命の子神で木の神。大山祇命の兄神。
木花咲耶姫命 大山祇命の娘神。
苔虫命 大山祇命の娘神:磐長姫命。( の別名。苔むした磐の神で長寿の神。)
葉野姫命 伊邪那岐命と伊邪那美命の子神で草の神。大山祇命の妹神。
元々が山口神社ですので、大山祇命を中心に祀られているように思います。
式内社 吉野山口神社 ( 大 月次 / 新嘗 ) 論社 大和国 吉野郡鎮座
現社名 勝手神社 / 吉野山口神社
住所 奈良県吉野郡吉野町山口634
主祭神 大山祇神
旧社格 村社
吉野運動公園の近くに、高鉾神社と吉野山口神社が合祀されておりますが、その
吉野山口神社と同じく、式内社:吉野山口神社を主張されています。( 論社 )
https://ameblo.jp/fudasyosanpai/
拝殿があったところからの眺め。
以上。