義経座石 ( すわりいし ) がある大宇陀牧から東へ向かっています。

 

 

 

 

「 飛び出し注意 」 といわれても、周りには民家も学校もないのですが...

立てかけられたのは、たぶん20年・30年前のことでしょう、

その頃には小学生が歩いていた、ということなのかなあ。

 

義経座石から1.5㎞ほどのところにある片岡家住宅、寛文十年 ( 1670年 ) 建立の

重要文化財です。

 

 

 

 

 

 

 

説明文はありませんでしたので、「 出会う 奈良県歴史文化資源データベース」 HPの

記事を転載します。

 

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片岡家は、歴代当主が近世のほぼ全期間を通じ田原村の庄屋をつとめ、郡山藩領

時代には大庄屋、幕府領時代には年預(惣代庄屋)、明治以降は戸長や村長なども

つとめました。当主は代々彦左衛門を襲名しています。

 

片岡家には田原村や田原組村々に関する村方文書が豊富に残っており、その数は

近世文書を中心に1万3千点を超えます。

片岡家住宅に関する史料もよく残っています。

 

普請関係では、寛文9年 ( 1669年 ) 『 殿様御殿御普請帳 』 と 寛文11年

( 1671年 ) 『 座敷普請帳 』 があります。

前者は主屋の客室部、後者は居室部の普請に関わる文書であり、上棟の際に

用いられた木槌にも、寛文10年 ( 1670年 ) の墨書銘が見られます。

 

「 客室部 」 は、その後、天明2年 ( 1782年 ) に大規模な改造が行われ、

ほぼ現状の形状になったものと思われます。

また、主屋の東側の 「 表門 」 は、天保3年 ( 1832年 ) に建てられたもので、

上棟の際の 『 御祝儀覚之帳 』 が残っています。

https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10505.html

 

1万3千点も文書が残っているなんて、よっぽど几帳面な人々だったのですね。

それくらい几帳面でないと、大庄屋や村長は務まらないのかもしれません。

 

片岡家住宅からさらに東へ1㎞いったところに、戸隠神社が鎮座されます。

 

 

田んぼの中にあるポツンとした小さな丘に鎮座されています。

こういった風景は有るようで無く、なんだか不思議です。

 

 

 

望遠で社殿をズームアップ。向かいの山から撮っています。

 

 

参道は横側から入ります。

 

 

 

    

 

向かって右にあるのは参集殿、清水の舞台を想わせる懸け造り。

 

 

 

御神域の前を清流が流れています。

 

 

石段を登って境内へ。

 

 

 

    

 

石段に向かって左に手水舎。

 

 

石段を登った途中の踊り場的なところに狛犬、境内社が鎮座されます。

 

    

 

    

 

左は金刀比羅神社、右は大山祇神社。

 

 

本殿は春日造。

 

 

本殿に向かって右に天照皇大神宮・春日神社、右に宗像神社が鎮座されます。

 

    

 

御祭神は天手力雄命 ( あめのたぢからおのみこと )。

詳細は不明。

 

なんで信州の神が大和に祀られているのでしょうね?

そういえば、義経座石の近くに鎮座される九頭神社では、諏訪の神の建御名方神

( たけみなかたのかみ ) が久須斯 ( くすし ) の神として祀られておりました。

大宇陀と信州は、何か関係があるのでしょうか?

 

本殿からの眺め。

 

 

 

 

以上。