国道166号線 ( 松山街道 ) を4㎞ほど進んだところに女寄 ( めよせ ) トンネル
があります。 女寄 ( めよせ ) 峠のすぐ隣にバイパス的に造られたトンネルですが、
なぜ女寄峠という不思議な名前になったのか、わかりません。
以前、私は 「 松山街道は、大宇陀にある松山というところへ向かう街道 」 と、この
ブログに書きました。
それは間違いではないのですが、 「 松山 」 というのは大宇陀にかつて存在した
「 宇陀松山藩 」 の名前にもなっている地名でした。
宇陀松山藩の初代藩主は福島正信公の次男:福島高晴公ですが、豊臣側とのつながりを
疑われ改易、その後織田信長公の次男:織田信雄 ( のぶかつ ) 公が藩主となります。
織田家は五代目まで城主を続けています。
大宇陀松山という地名、この地方ではそこそこ知られているらしい。
私は大和国初心者ですので、こ勉強中です。
女寄トンネルを抜けて500mほど行ったところに、大宇陀半坂へ向かう道があります。
神武天皇の敵が潜んだ男坂 ( おさか ) -> ( なんさか ) -> ( はんさか ) と転訛し、
半坂 となったそうです。 その半坂へ向かいます。
分かれ道は上へ。
分かれ道は上へ。
突然、といった感じで小さな鳥居が現れました。
踊り場に手水舎。 手水鉢の水盤は、まん丸です。
折り返しの石段を登って境内へ。
式内社 剣主神社 大和国 宇陀郡鎮座 ( 論社 )
現社名 剣主神社
住所 奈良県宇陀市大宇陀区半阪
御祭神 健速須佐男之命 ( たけはやすさのおのみこと )
経津主之大神 ( ふつぶしのみこと )
葦原醜男之大神 ( あしはらのしこおのおおかみ )
由緒詳細は不明です。
宇陀郡に鎮座される剣主神社の論社は、
半坂 ( 男坂 ) に鎮座される剣主神社
大峠 ( 女坂 ) に鎮座される宮奥の剣主神社、 下宮奥の剣主神社
と、三社あります。
いずれも神武天皇の磐余 ( いわれ ) 邑に進まれるとき、敵兵が潜んでいた場所です。
疫病が万延しているころ、崇神天皇の夢に出現された神の神勅により、
香芝市逢坂に鎮座される大坂山口神社と、榛原町に鎮座される墨坂神社が祀られて
居りますが、この2つの神社は大和国を東西に通る街道の端っこに鎮座されており、
大和国は、この2つの神社によって守られています。
女坂・男坂は大宇陀と磐余邑 ( 大和朝廷の中心地 ) の間にある峠で、要衝です。
ここに武神を奉斎し、磐余郷邑の安全を祈願したのではないだろうか。
社殿からの眺め。
以上。