天照皇大神を伊勢に祀る前、祀った場所の一つが 大和国の「 いつかし 」 で、いわゆる

「 元伊勢 」 のひとつです。

笠縫邑に鎮座されたという説もありますが、初瀬谷という説が有力です。

( 何故有力なのかは、私は理解していません )

比定地としては、下記三か所があります。

 

① 長谷寺      桜井市初瀬731

② 與喜天満神社 桜井市初瀬 14

③ 長谷山坐神社 桜井市初瀬4593

 

3つに比定地は、半径300m程度の範囲に在ります。

 

                           長谷寺

                             ||

                             ||              天神山

                             || == 素戔嗚神社

                             ||

 == 長谷寺門前町 ============= 與喜天満神社

   ||              長谷山口坐神社

 == 国道165号線 ====================

 

長谷山口坐 ( はせやまぐちにいます ) 神社から長谷寺に参道に戻り、長谷寺に

向かいます。まっすぐ歩いていると、参道は左に直角に折れます。

折れないで正面に進むと、與喜天満神社の参道になります。

 

 

 

初瀬川 ( 大和川 ) を渡ります。

 

 

 

 

 

 

 

参道の右に泊瀬 ( はせ ) 稲荷社が鎮座されます。

 

 

参道の右、少し離れたところに八王子社が鎮座されます。

 

 

 

 

参道へ。

 

 

 

      

 

石段を登り切ると、右に手水舎。

 

 

 

左に拝殿。

 

 

 

      

 

石段は45度くらいの急こう配です。

本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。 春日造。 

 

左から、白太夫社 ( 渡会晴彦命 )、桜葉社 ( 伊予親王 )

 

 

本殿に向かって右に境内社が鎮座されます。 春日造っぽい造り。 

御祭神は、速珠命、伊弉諾尊、伊弉冉尊。

どのお社にどちらの神を祀ってあるのかは不明です。

 

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式内社 長谷山口神社 ( 大 月次 / 新嘗 ) 大和国 城上郡鎮座 論社

現社名 與喜天満神社

旧社格 郷社 菅公聖蹟二十五拝第六番

 

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パワースポツトの御案内

 

神備山 「 与喜山 」( 国指定天然記念物 ) は、千古以来斧を入れずの御神体山で、

元伊勢大和の国三番目伊豆加志 ( いつかし ) 本宮・豊鍬入姫 ( とよすきいりひめ )

命の地であり、日本の黎明期から最初に太陽が昇る山として古代より崇められた

この中腹に與喜天満神社はあり、神社を含めて山全体がパワースポットととして有名です。

 

雄略天皇 ( 大初瀬幼武尊 ) の国讃めの敬 ( 日本書紀七十七 ) に

 

 隠国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山

 走り出の よろしき山の 隠国の 泊瀬の山は

 あやにうら麗し あやにうら麗し

 

叉、現在当山は与喜山と言われてますが、古く大泊瀬山・隠国長谷山と言われ、

古記には因曼荼羅峯とも言われ、十一面観音を彫った山でもあります。

 

                                         ( 境内説明文 )

 

式内社:山口神社の論社であり、元伊勢:伊豆加志 ( いつかし ) の論社であり、

日本最古の天満宮。

 

與喜天満神社公式HPに記事を転載します。

 

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寛平の頃 ( 890年頃 ) この山に一人の樵夫 ( しょうふ、木こり ) が與喜山で

仕事をしていた時、彼の小屋に誰かが 「 これを祭れ 」 といって何かを投げました。

そこには木像が落ちていました。 

 

樵夫はその頃、長谷寺に菅原道真公が参詣に来られていたので、その像は公の

御作として、大切にお祭りしました。 

その像が神社に現存する木造神像と伝えられています。

 

また、この初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がいました。 

天慶9年 ( 946年 ) の9月18日の明け方、武麿は高貴な老人の夢を見ました。

2日後の9月20日、ふしぎなことにこの武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が

座っていました ( 現在の切石御旅所の地 )。

 

翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついて行きました。

翁は川で禊ぎを ( 現在の中の橋詰め御旅所の地 ) された後、十一面観音を参り、

瀧蔵権現に参ると、急に黒雲が湧いてきてその翁を包みました。

 

すると、翁は立派な衣冠装束姿となり 「 私は右大臣正二位天満神社菅原道真 」

と名乗り、「 私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」 と語って、言葉の通り

神鎮まりました。 これが與喜天満神社のはじまりです。 

 

與喜という神社号は、瀧蔵権現が道真公の神霊に 「 良き地 」 だとおっしゃった

ことから起こりました。 「 吉のお宮 」 と呼ばれるゆえんです。

天暦2年 ( 948年 ) 7月、武麿は神殿を建立しました。 

これが與喜天満神社の創祀です。

https://www.yokitenmanjinja.jp/history.html

 

全国的に有名な天満宮の中では、道真公が薨去された二年後 ( 延喜四年、904 )

に創建された防府天満宮が最も古い天満宮になります。

道真公に地行所:京都・綾部に鎮座される生身天満宮は、生前 ( 延喜元年、901 )

に道真公の木像を祀っており、日本最古の天満宮をい称されています。

 

與喜天満宮は寛平の頃 ( 890年頃 )に御神像を祀ったのが御創建となっていますが、

この御神像は道真公とは関係がありません。

天慶9年 ( 946年 ) に道真公が出現されたのが與喜天満神社の御創建とすれば

「 日本最古 」 とは言えないと思います。

 

有名どころの天満宮の御創建年代を書いておきます。

 

與喜天満神社  天慶9年 ( 946 )

大宰府天満宮  延喜19年 ( 919 ) 道真の墓所の上に社殿を造営

北野天満宮    永延元年 ( 987 )

大坂天満宮    天暦3年 ( 949 )

防府天満宮    延喜4年 ( 904 )

生身天満宮    延喜元年 ( 901 )

 

拝殿前の石段を降りました。

拝殿に向かって左に磐座 「 鵞形石 ( がぎょういし ) 」 が鎮座されます。

 

 

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伊勢神宮信仰の原点

磐座 「 鵞形石 」 ( 御祭神・天照大神 )の御由緒

 

菅原道真公を祭る興喜天満神社は、平安時代に創建され、興喜山の鎮守・地主の

神様ですが、古代、この地は天照大神が天上からはじめてこの世に降臨された聖地

と伝えられています。

 

そもそもこの與喜山は、古代は大泊瀬山と呼ばれ、大和の国に最初に太陽の昇って

くる聖なる山でありました。伊勢神宮の信仰は、この初瀬の地が地理的にも出発点

なのです。

 

第十代崇神天皇御代、豊鍬入姫命 ( とよすきいりひめのみこと ) による第三番目の

斎宮・伊豆加志本宮で、皇大神宮が奉祀された斎宮も興喜山にあったと考えられて

います。

 

原初より女性は太陽であり、神として敬われます。

女性の皆様の守護神として心をこめてこ参拝下さい。

 

                                                                      ( 境内説明文 )

 

磐倉:「 鵞形石 」 に降臨された天照大神の御神例は、現在は興喜天満神社から

200mほど北に鎮座される素戔嗚神社に祀られています。

 

  式内社 堝倉神社 大和国 城上郡鎮座 ( 旧鎮座地 )

  現社名 素戔嗚神社

 

その上に磐座・「 掌石 」 と 「 沓形石 」 が鎮座されます。

 

 

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磐座・「 掌石 」 と 「 沓形石 」 のこ由緒

 

古代は聖なる山に鎮座する磐座に、神を迎えてお祭りをしました。

当社の磐座は、その形態を現在も残す、貴重な信仰上の遺産でもあります。

私たちはこの磐座に祈りを捧げ、古代さながらの神体験ができるのです。

 

右上段の磐座・「 掌石 」 ( 斎神・大玉命 ) は、手のひらのような形をしているので

その名が付きました。

また左下段の「 沓形石 」( 斎神・天児屋根命 ) は、神官がはく沓のような形を

しているので、その名が付きました。

手前の鵞形石 ( 斎神・天照大神 ) は、鵞鳥のような形をしているので、その名が

付きました。

 

この三つの磐座で、『 古事記 』 神話に記されている 「 天の岩戸 」 の段を

再現していると考えられています。

 

★ どうぞ、古代から息づく神の霊気をいただいて、所願の成就をご祈願下さい。

 

                                          ( 境内説明文 )

 

その奥に夫婦岩が鎮座されます。

 

 

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御祖の磐座と男女 ( 夫婦 ) 岩

 

與喜天満神社の御祭神菅原道真公は、昌泰元年 ( 898年12月 ) 長谷寺に参詣され

「 当山 ( 大泊瀬山 ) は是天照大御神隠蟄の地 諸神冥道の守護の砌なり・・・」

この山は昔から日本で最初に天照大御神が影向された御神体として信仰されている。

 

又、天照大御神の御霊を奉じて遷幸されていった元伊勢第三番目の聖地が

「 伊豆加志 ( いつかし ) 本宮 」 で、ここで崇神天皇の皇女豊鍬入姫命 ( とよすき

いりひめのみこと ) が八年間、御霊をお祀りされていたところが與喜山の麓付近で

あるかと思われます。

 

その様な歴史的背景に於いて御祖の信仰が深く根付くと同時に、大日如来の化身として

長谷寺の十一面観音が聖天様の女天、御祭神菅原道真公が男天と受け止められ、

神仏習合 ( 本地垂迹 ほんじすいじゃく、神は仏の化身という考え ) により、

「 和合・・・男女が幸せにいきていゆく力 」 を願うのが男女 ( 夫婦 ) 岩です。

心の奥底からお二人の幸福を祈念してください。

 

                                         ( 境内説明文 )

 

磐座から眺めた拝殿。

 

 

境内からの眺め。

 

 

 

 

 

以上。