農工大通りを東へ向かっています。
小金井市の花:小金井桜が描かれています。
小金井市の下水道事業イメージキャラクター:桜水 ( おうすい ) くんと、市の鳥:
カワセミが描かれています。 「 ようこそ水と緑の小金井市へ 」
「 火の用心 」 の纏を持った町火消しと、小金井桜が描かれた消火栓。
東京農工大。
東小金井駅の横を北上、1㎞ほど歩いたところに法政大学があります。
さらに北上すると玉川上水に交差します。
玉川上水の土手は、桜並木になっており、車道と完全に分離されています。
散歩やランニンングをされる人がいました。
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桜樹接種碑
元文二年 ( 1737 ) 頃、桜が植えられた玉川上水堤は、しだいに桜の名所として
にぎわいを増してきました。
しかし、百余年がたち老木かが進んだので、嘉永三年 ( 1850 )、代官大熊善太郎は
田無村:境新田・梶野新田・下小金井新田・鈴木新田に、互いに協力して補植するよう
命じました。
村々では、桜の苗木を持ち寄り、それぞれの持ち場に数百本を植え足しました。
庫の石碑は、嘉永四年三月、田無村の名主下田半兵衛が補植の経緯を後の世に
伝えるとともに、桜樹が永久に植え継がれ、保護されることを願って建てたものです。
石碑の表に 「 さくら折るべからず 」 槐字道人 ( えんじゅじどうじん、下田半兵衛 )、
裏に無量老人 ( 賀陽玄節、かやげんせつ ) 撰の 「 桜樹接種の記 」 が
刻まれています。
平成七年二月二十八日 小金井市教育委員会
( 説明文 )
小金井市のマンホールには小金井桜が描かれています。
「 小金井桜 」 という種類があるのだろうと思っておりましたが、玉川上水の堤に
植えられた山桜のことを指すのだそうです。
↓ 「 名勝 小金井桜の会 」 HP
http://koganeizakura.com/4indexkoganeisakura.html
この記事によれば、小金井橋を中心に東西3㎞づつ、計6㎞を 「 名勝 小金井桜 」
と呼ぶのだそうです。 勉強になるなあ。
玉川上水。
名勝 小金井桜を1.5㎞ほど歩いた後、北上。
500mほど歩いた所で小路に入ります。
阿波洲神社の後方に到着。
表参道に廻ります。
正面に手水舎。
自動で水が出るのでしょうけど、今は止められています。
丸太デザインの蛇口は初めてです。
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西東京市指定文化財 第四十号 奉納絵馬群
阿波洲神社は宝暦二年 ( 1752 ) 粟嶋明神として勧請されました
( 別当寺 「 寳晃院文書 」 )。
江戸時代中期の明確な創建年次を持つこの神社は、享保九年 ( 1724 ) から開発が
始まる武蔵野新田の一つ、上保谷新田の鎮守神として祀られました。
粟嶋明神が表記を阿波洲神社に代えたのは明治以降ですが、祭神に変更はありません。
粟嶋明神は紀伊の国 ( 和歌山 ) 加太浦の淡島明神を総社としており、祭神は女神の
頗梨采女 ( ほりさいにょ ) と粟=淡 にちなんで日本神話に登場する少彦名命
( すくなひこなのみこと ) でした。
江戸時代江戸浅草の浅草寺境内に祀られた淡島明神が、女性の人気を呼んで信仰
されたように、上保谷新田の粟嶋も、拝殿前の鈴に下がる五色の紐を切って安産の
腹帯にする習俗や、女性たちの針供養・捨雛が行われていました。
指定文化財となった二十一枚の絵馬のうちには、子さずけや安産、婦人病平癒などを
祈願したとみられる 「 夫婦拝み 」 など四枚があり、庶民的な図柄では 「 大工職人 」、
秋の 「 祭礼 」、おそらく上保谷村如意輪寺の馬駈け市に出かける道中の 「 飾り馬 」
などがあって、信仰心意の種々相と、当時の習俗を伝える貴重な資料となっています。
こうして阿波洲神社は、女神の特徴や庶民信仰の側面を持ちながらも、新田とはいえ
独立した一村の鎮守神であったことから、その年中行事は農耕神の少彦名を祀る神社
として、全て村の農作の豊饒を祈念する儀礼でした。
平成七年三月 西東京市教育委員会
( 境内説明文 )
こちらは
粟嶋 ( あわしま ) 神社 -> 阿波洲 ( あわしま ) 神社
千葉県松戸市に鎮座される安房須 ( あわす ) 神社は、
少彦名命 = 粟島様 ( あわしまさま )
-> 安房島 ( あわしま )
-> 安房州 ( あわしま・あわす ) -> 安房須 ( あわす ) 。
https://ameblo.jp/fudasyosanpai/entry-12620955181.html
注連縄は、横一文字タイプです。
本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。 御社名は不明です。
その後方に聳える御神木。
拝殿からの眺め。
近くの関前一丁目バス停からJR武蔵境駅へ。
JR武蔵境駅も、静かで落ち着いた雰囲気があります。
以上。