美女木という奇妙な御社名は、かつての村名から来ています。
江戸時代末期に編纂された 「 新編武蔵風土記稿 」に、その由来が書かれています。
私は 「 新編武蔵風土記稿 」 を持っておりませんので、「 歴史風味 」 というHPの
記事を転載します。
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実はこの美女木という地名ですが、江戸時代の 「 新編武蔵風土記稿 」 という
書物に次のような文章があります。
もと上笹目と云いしが、古へ京師より故ありて美麗の官女数人、当所に来り居りし
ことあり、其頃近村のもの当村をさして美女来とのみ呼しにより、いつとなく村名の如く
なりゆきて ( 新編武蔵風土記稿より )
京都から美女が来たから美女来。
地名になるくらいですから、しぐさや言葉など、都の香りを漂わせた美しい女性は、
地方の人々には大きな衝撃だったのでしょうね。
美女木八幡神社は、JR埼京線:北戸田駅から西へ1.5㎞のところに鎮座されます。
新大宮バイパスと東京外環自動車道が交わるところが、美女木ジャンクション。
その下に在る交差点が美女木八幡神社交差点で、そこから北へ100mほどのところに
鎮座されます。
御神門。
拝殿に向かって左に社務所、右に手水舎。
手水舎の隣りにある境内社は、御社名不明です。
拝殿に向かって左に鐘撞堂があります。
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美女木八幡神社
創建を鎌倉時代と伝える古社で、祭神は仲哀天皇 ( ちゅうあいてんのう ) と
応神天皇 ( おうじんてんのう ) の二柱です。
伝承によると、後鳥羽院の御代、文治五年 ( 1189 ) 源頼朝が奥州下向の時、
当地に立ち寄った際に神のお告げがあり、相州鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものと
伝えられています。
南北朝期の記述として、「 新八幡宮 」 といわれていたことが浦和市宮本の
氷川女体神社に伝存する大般若経 ( 至徳二年・1385 ) の奥書に記されています。
この八幡社には、社宝として 「 銅鐘 」 があります。
市内では唯一の国の重要美術品で、埼玉県の有形文化財に指定されています。
この銅鐘は、早瀬にあった聖釜という池から掘り出されたものと伝えられます。
銘文はありませんが、作風から鎌倉時代末期から南北朝時代の作といわれています。
ほかに天保四年 ( 1833 ) に奉納された 「 最上流和算額 」 や、
「 七条袈裟及び打敷 ( うちしき ) 」 などが市の有形文化財に指定されています。
また境内には 「 うばゆり 」 があり、八月上旬に白い花が見られます。
市の天然記念物に指定されています。
平成九年三月 戸田市教育委員会
( 境内説明文 )
東京、埼玉には源頼朝公由来の八幡神社が多く存在します。
おそらくは鶴岡八幡宮の御分霊を持ち、立ち寄られた所で武運を祈りながらの
陸奥遠征だったのでしょう。
鐘撞堂。
鐘撞堂の奥に氷川神社が鎮座されます。 手前に力石が奉納されています。
床下から、鍾馗 ( しょうき ) 様が睨みをきかせています。
鍾馗様は災厄退散の神。
本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
手前の社殿にはハチの巣があり、沢山のハチが飛び交っているので近づくのを
やめました。 御社名不明。 奥は稲荷神社です。
本殿の後方に境内社が鎮座されます。 御社名不明。
本殿に向かって右に出雲大神が鎮座されます。
社殿から狛犬が睨みをきかせています。
拝殿からの眺め。
JR埼京線:戸田駅の駅舎はみかん色。
この色に決めた人は勇気がありますね。
以上。