美女木という奇妙な御社名は、かつての村名から来ています。

江戸時代末期に編纂された 「 新編武蔵風土記稿 」に、その由来が書かれています。

私は 「 新編武蔵風土記稿 」 を持っておりませんので、「 歴史風味 」 というHPの

記事を転載します。

 

---

 

実はこの美女木という地名ですが、江戸時代の 「 新編武蔵風土記稿 」 という

書物に次のような文章があります。

 

もと上笹目と云いしが、古へ京師より故ありて美麗の官女数人、当所に来り居りし

ことあり、其頃近村のもの当村をさして美女来とのみ呼しにより、いつとなく村名の如く

なりゆきて ( 新編武蔵風土記稿より )

 

https://fuum.me/archives/749

 

京都から美女が来たから美女来。 

地名になるくらいですから、しぐさや言葉など、都の香りを漂わせた美しい女性は、

地方の人々には大きな衝撃だったのでしょうね。

 

美女木八幡神社は、JR埼京線:北戸田駅から西へ1.5㎞のところに鎮座されます。

新大宮バイパスと東京外環自動車道が交わるところが、美女木ジャンクション。

その下に在る交差点が美女木八幡神社交差点で、そこから北へ100mほどのところに

鎮座されます。

 

 

 

御神門。

 

 

 

 

拝殿に向かって左に社務所、右に手水舎。 

手水舎の隣りにある境内社は、御社名不明です。

 

    

 

 

 

拝殿に向かって左に鐘撞堂があります。

 

    

 

    

 

    

 

    

 

 

---

 

美女木八幡神社

 

創建を鎌倉時代と伝える古社で、祭神は仲哀天皇 ( ちゅうあいてんのう ) と

応神天皇 ( おうじんてんのう ) の二柱です。

 

伝承によると、後鳥羽院の御代、文治五年 ( 1189 ) 源頼朝が奥州下向の時、

当地に立ち寄った際に神のお告げがあり、相州鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものと

伝えられています。

 

南北朝期の記述として、「 新八幡宮 」 といわれていたことが浦和市宮本の

氷川女体神社に伝存する大般若経 ( 至徳二年・1385 ) の奥書に記されています。

 

この八幡社には、社宝として 「 銅鐘 」 があります。

市内では唯一の国の重要美術品で、埼玉県の有形文化財に指定されています。

この銅鐘は、早瀬にあった聖釜という池から掘り出されたものと伝えられます。

銘文はありませんが、作風から鎌倉時代末期から南北朝時代の作といわれています。

 

 

ほかに天保四年 ( 1833 ) に奉納された 「 最上流和算額 」 や、

「 七条袈裟及び打敷 ( うちしき ) 」 などが市の有形文化財に指定されています。

また境内には 「 うばゆり 」 があり、八月上旬に白い花が見られます。

市の天然記念物に指定されています。

 

平成九年三月 戸田市教育委員会

                             ( 境内説明文 )

 

東京、埼玉には源頼朝公由来の八幡神社が多く存在します。

おそらくは鶴岡八幡宮の御分霊を持ち、立ち寄られた所で武運を祈りながらの

陸奥遠征だったのでしょう。

 

鐘撞堂。

 

 

 

 

    

 

鐘撞堂の奥に氷川神社が鎮座されます。 手前に力石が奉納されています。

 

 

床下から、鍾馗 ( しょうき ) 様が睨みをきかせています。

鍾馗様は災厄退散の神。

 

 

本殿に向かって左に境内社が鎮座されます。

 

 

手前の社殿にはハチの巣があり、沢山のハチが飛び交っているので近づくのを

やめました。 御社名不明。 奥は稲荷神社です。

 

 

本殿の後方に境内社が鎮座されます。 御社名不明。

 

 

本殿に向かって右に出雲大神が鎮座されます。

 

 

社殿から狛犬が睨みをきかせています。

 

    

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

 

 

JR埼京線:戸田駅の駅舎はみかん色。

この色に決めた人は勇気がありますね。 

 

 

 

以上。