森浅間神社へ参ります。

 

 

 

後方を眺めると、環状2号線が走っています。

 

 

私が海外に居た頃に開通した区間ですし、日本に帰ってからは東京に住んでおりました

ので、ここに自動車道があることすら知りませんでした。

ぱっと見た時、横浜新道が磯子を通っているのだったっけ?と思いました。

 

 

参道の右に 「 平和の礎碑 」。

 

 

 

 

    

 

 

 

拝殿に向かって右に手水舎。

 

 

 

ツインズ龍神様。

 

 

拝殿単独の写真は撮り忘れました。

 

    

 

    

 

    

 

    

 

 

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森浅間神社開創の縁起

 

森浅間神社の古は、相州鎌倉扇ケ谷に在り、亀谷山権現堂福禅寺と号し建久八年

己六月 ( 1197 ) 権現堂開山幸蔵坊長慶比丘 ( 姓藤原 ) 右大将源頼朝卿の請に

因り不動明王を奉じ天下泰平を祈る。

 

当時、鎌倉より本郷上野村峯矢部野笹下を通じ、対岸の上総下総方面への回路及び

戦略上の要所である武州森村に幕府は陣屋を作るに当たり、当地我沙羅山山頂に

霊峰富士より木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと ) の分霊をうけ堂を建立

した。

 

長慶以降権現堂福禅寺の法灯を継ぐ歴代住職は、この地に赴き各種祈願をなした

という。これが浅間神社の起なり。

 

鎌倉幕府最後の将軍守邦親王治世嘉暦三年 ( 1328 ) 権現堂六大権僧都法印

長円新王の御祈願所として守本尊薬師仏像を賜り護持す。

 

元弘三年 ( 1333 ) 鎌倉に戦乱ありしとき、この薬師仏像を奉じ親王は長円を伴い

鎌倉を脱し森村に移り、建武二年 ( 1335 ) 五月二十八日森浅間神社の本地仏と

して安置す。 現在当社の御神体なり。 

この時をもって森浅間神社創設とする説もあり。

 

明応年中 ( 1492~1501 ) 権現堂十五代長恵の時、鎌倉を退転し森村に居住、

更に文禄年中 ( 1592~1596 ) 十九代長観の時、松本の里に移りし後も代々

修験道職をもって当社に奉じ、明治維新後は松本性を名乗り、神官職とし、神社を

護持し現在に到る。

 

昭和五十四年八月 権現堂三十三代森浅間神社宮司 松本英雄

                              ( 境内説明文 )

 

 

 

本殿に向かって左に石塔が並びます。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

 

やって来た不動滝へ降ります。

 

 

 

以上。