磯子日枝神社から南へ1㎞ほどのところに、JR京浜東北線:磯子駅があります。

埼玉県の大宮駅から神奈川県の横浜駅までが京浜東北線、横浜駅から大船駅までが

根岸線なので、京浜東北線:磯子駅と呼ぶのは間違いなのでしょうけど。

京浜東北線と根岸線をきっちり呼び分ける人はあまり居ないような気がします。

 

 

磯子駅から西へ50mのところに国道16号線があり、たくさんマンションが建てられて

いるのですが、駅前ロータリーは30年前とほとんど変わっていません。

駅前のビルの一階がスーパー松坂屋だったのに、別のスーパーに変わったくらいか?

 

 

こちらは国道16号線。中央の白い建物と向こう側の釣具屋の間に、森浅間神社の

参道があります。

 

 

 

 

アパート・マンションが建っているのはここまでで、ここから石段に変わります。

 

 

石段の途中で分かれ道があり、左へ進むと不動滝があります。

 

 

入り口に庚申塔。

 

 

 

御神木の向こう側が不動滝。

 

 

 

 

龍神様。

 

 

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朝日不動滝 由来

 

この滝の水源は背後の赤穂原台地 ( 現汐見台 ) より湧出する清水で、古来より存在

していた。 

 

建武二年 ( 1335 ) 鎌倉扇ケ谷亀谷山権現堂六大修験者長円法印、時の将軍守邦親王

の命に依り創建された森浅間神社より百五十年後の明応年中 ( 1492~1500 ) 権現堂

十五代修験者長恵法印が武州森村に移り住むに及んでこれを開設したと伝えらる。

次いでこの滝に不動明王を祀り不動滝として修験者の修行の場所とした。

 

寛政十二年 ( 1800 )、幕府より女人の富士登山が許されてから富士信仰が盛んになり、

各地に富士講中が出来た。 森浅間神社には富士山を象り三方からの登山路があり、

信者から武州小富士として崇敬され、多くの富士講中の人々が白装束でこの瀧に打たれて

祈願した。 ( 注 富士講中記念碑 )

 

滝野口から流れ落ちる瑞に朝日が輝く荘厳さに朝日滝とも称された。

今は台地の開発により水量は半減した。

滝壺の左上に清滝神社があり、弁天様が祀られていたが明治四十一年浅間神社に

合祀された。

 

大正九年地元有志に依り改修が行われた。 ( 注 再築記念碑 )

昭和三十六年六月、集中豪雨のため崩壊埋没し現在に至った。

 

同五十六年五月より神社総代世話人会有志により滝壺の浚渫を行い埋没して居た

不動明王 ( 注 崖面中央 ) とその使者である制多迦童子 ( 向かって左 ) 

金伽銅羅童子 ( 向かって右 ) 二体の石造を発掘したが破損のため新たに復元し

旧石造二体を祠に安置した。

 

同ねん八月浅間講々員の浄財と世話人会の奉仕により復元工事を完成し、同月八日

復元祭を斎行す。

 

昭和五十六年八月八日

                                 ( 碑文 )

 

二体の童子の写真は撮るのを忘れました。 ( 最近、このパターンが多いです。)

 

汐見台は、かつて大手企業の社宅がたくさん並んで建っておりましたが、そのいくつかは

敷地が売られてマンションに変わっています。

未だ残る多くの社宅は築年数が古く、この碑文が書かれた昭和五十六年頃は、

既に建っていたものと思われます。 保水力のある森があるから水が湧くのであって、

森は無いのに、半減といえども水が湧き出ているのですからたいへんなものです。

 

不動滝に向かって左に小祠があります。 碑文ではかつて弁天様が祀られていたと

書かれておりましたが、現在はどちらの神が祀られているのでしょう?

 

 

不動滝に向かって左に参道があります。

 

 

 

本殿の後方に着きましたので、表参道にまわります。ずっと下へ降りて行きます。

 

麓の下宮。これは里宮であり、この丘を富士山とみなし、富士浅間神社を模した形

です。

 

 

 

    

 

    

 

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浅間神社下宮の由来

 

武蔵国久良岐郡屏風ケ浦村森には、古い昔、およそ一千二百年前の頃より 「 浅間神社・

下浅間神社 」 がありました。 

村人たちは、崇神の念が厚く、江戸時代になると村内各所に多くの社が建立されました。

 

 神明宮    ( 天照大神 ) 森五丁目六三

 牛頭明神  ( 素戔嗚命 ) 森二丁目一七

 神明大明宮 ( 天照大神 ) 森二丁目四三一・一 ( 神社駐車場・神輿庫 )

 稲荷明社  ( 稲倉魂命 ) 森二丁目一一・一二

 荒神宮    ( 火産霊命 ) 森五丁目十・四

 御嶽宮    ( 国常立命 ) 森五丁目四・三

 稲荷明社  ( 稲倉魂命 ) 森二丁目一八・四

 荒神宮    ( 火産霊命 ) 森二丁目一三・一九

 白幡大明神 ( 源頼朝公 ) 森三丁目七・三三

 神明宮    ( 天照大神 ) 汐見台交番付近

 第六明神  ( 素戔嗚命 ) 森三丁目四・二一

 子大明神 ( 大国主命 ) 屛風ヶ浦小北東下

 

右の十にの神社は、明治四十一年十月に浅間神社に合祀されました。

現在の浅間神社下宮の社は、神明大神宮の建物を移築再建したもので、江戸時代に

建築されたものと思われます。

 

境内にある左右一対の狛犬は、明治二十六年六月、森村の有志が村人の安泰を祈願

して建造したものであります。

 

森浅間神社 

                              ( 境内説明文 )

 

 

    

 

2時間後に続く。