JR内房線:浜野駅です。

 

 

 

 

千葉駅周辺は大都会ですが、ほんの少し離れると静かな街並みになります。

浜野駅は中央区とはいえ市原市との境にあり、地方の町の雰囲気です。

浜野駅から400mほど北上すると、参道の入口に到着します。

 

 

50mほど民家の間を歩いていくと、広い参道に出ました。

 

 

 

    

 

鳥居をくぐった左に力石が奉納されています。

 

 

 

左に社務所、右に手水舎。

 

    

 

 

    

 

    

 

 

 

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諏訪神社

 

この神社の祭神は建御名方命 ( たけみなかたのみこと ) です。

 

上総国市原郡養老庄 ( 現市原市 ) の領主であった村上周防守義清は、大永元年 

( 1521 ) に信濃国にある諏訪神社の神様を領内にお迎えしてお祀りするため重臣を

遣わしました。 

 

重臣は神鏡などの宝物を受け取り、帰途に浜村 ( 現浜野町 ) に宿泊しました。

この神社は、村人がこれを縁として、当地にも諏訪の神を祀ったことに起源すると云われて

います。

 

創建時の社殿の記録は残っていませんが、宝暦五年 ( 1755 ) の 「 浜野村地先澪絵図 」

には諏訪大明神として描かれており、当時の様子がうかがわれます。

 

                                             ( 境内説明文 )

 

 

 

村上周防守義清は、大河ドラマ 「 武田信玄 」 では歌手の上条恒彦さんが演じて

いらっしゃいました。

 

村上義清は信濃村上氏であり、永正十七年 ( 1520 ) に当主になり、翌年の大永元年 

( 1521 ) には武田晴信の信虎追放に激怒し、武田家との絶縁を宣言しています。

その後は周辺の武将との戦いにあけくれています。

 

武田家とは二度の戦いに勝利し、板垣信方や甘利虎泰などを打ち取ったりしていますが、

最終的に武田晴信に打ち負かされて越後の長尾景虎を頼ることになります。

 

村上義清が長尾景虎の元へ逃れたところから川中島の戦いが始まり、信玄公の弟信繁公

を打ち取るなど活躍をことになるのですが、元亀四年 ( 1573 )、糸魚川の根知城で

この世を去ります。

 

説明文では、村上義清は上総国養老庄の領主、諏訪大明神を祀ったのは遣わした重臣

と書かれてあります。おそらく、村上義清は上総に行ったことはないのでしょう。

房総には信州村上氏と同族の村上氏が存在していました。

房総村上氏がおこなった事が、武田信玄を追い散らした有名な村上義清の名で伝えられて

いるのではないだろうか? 

 

村上義清が亡くなった後、信濃村上氏の活躍は見られません。

一族の一部は房総 ( 上総・下総・上野 ) などに散らばったとされますが、それは同族の

房総村上氏を頼ったのか、村上義清が養老庄の領主だったからなのか

 

拝殿に向かって左に稲荷神社が鎮座されます。

 

 

横を向いている神狐。 90度ずれてますよね。

 

    

 

拝殿に向かって左に御神木が聳えます。

 

 

 

 

境内の眺め。

 

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。