京葉道路と柴又街道が交わったところから、南に向かって人工の川と遊歩道が伸びています。
親水公園なのか遊歩道なのか、京葉道路から1㎞ほど南下したところに、南篠崎天祖神社が
鎮座されます。
拝殿に向かって左に手水舎。
手水舎の後方に殉国之碑 ( 右 )。
東京では、目を金色や黄色に塗った狛犬はそこそこ存在します。
その他の地域ではほとんど見かけませんよね。
こちらの狛犬は、たて髪・手足の毛・しっぽなど、長い毛が茶色に彩られています。
驚いた。
こういう狛犬の悪くない、というよりサイケでかっこいい。
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史跡
当社は御祭神天照皇太御神を祀り、鎮座年度は不詳でありますが、伊勢神宮の東葛西領
上鎌田村の御厨として鎮座されました。
御神殿秘蔵の記録によりますと、文化十四年九月 ( 1817 ) に奉納再建し、社名を
鎮守神明大神宮と称され、西光寺 ( 当地 ) 住職権大僧都智賢により御遷宮奉斎された
とあります。
又古文書には安政四年九月、時の領主源朝臣松平家宗公御代官竹垣三右衛門の時代に
武州国葛飾郡上鎌田村名主芦田一右衛門、嶋村藤左衛門等により社殿を再興したとあります。
明治三年の改正により歴代の神耺は、明治五年十一月、宇喜田村の彦沢詞掌、高橋喜尚社掌
高橋安太郎社掌の親子三代と続き、その後、香取茂世、昭和二十五年十月から西小松川
道ヶ嶋香取神社亀井宮司に至りました。
明治六年一月太政官布告により、社号を天祖神社 ( 村社 ) と改正されました。
百六十有余年を経た御神殿でありましたが、老朽甚だしく、昭和四十年 十月東京オリンピックを
記念に氏子崇敬者の総意により、鉄筋コンクリート神明造りの社殿に改築いたしました。
厳かに遷座祭を斎行し、広く町内の崇敬を仰ぐ御社として現在に至りました。
昭和五十四年三月吉日 南篠崎天祖神社
( 境内説明文 )
本殿に向かって左に水神宮が鎮座されます。
その後方に富士塚 ( 浅間神社 ) が鎮座されます。
多くの力石が奉納されています。
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上鎌田の富士塚 江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料 昭和五十八年 ( 1983 ) 三月登録
富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築き上げた
小高い塚です。 富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
上鎌田の富士塚は、明治十九年 ( 1886 ) に旧上鎌田村の丸星講の人々が築造しました。
塚の高さは、約1.5mで、面積は広く、円墳に近い形をしています。
頂上には 「 浅間神社 」 の石祠がまつられています。
区内の民間信仰、社会、文化、生活を知る上で、貴重な資料です。
平成十四年一月 江戸川区教育委員会
( 境内説明文 )
富士塚の麓には稲荷神社が祀られています。
本殿に向かって右に境内社が鎮座されます。
左から、三峯神社、日枝神社、稲荷神社。
拝殿からの眺め。
以上。