八劔神社は、京成千葉線:学園前駅から南西へ1㎞のところに鎮座されます。

周囲は田畑、住宅が点在しています。

参道には、御神木のケヤキが聳えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿に向かって左に神楽殿、右に手水舎。

 

    

 

 

 

 

境内には説明文がありませんでしたので、千葉市HPの記事を転載します。

 

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八剱神社は、社伝によれば日本武尊 ( やまとたけるのみこと ) が東征のとき、この国に

起こっていた国境の争いを平定し、改めて国境を定めたことに感謝して、土地の人々が

東国鎮護の神として祭ったのが始めとされています。

 

本社に伝わる神楽は、享保元年 ( 1716年 ) の社殿再建の際に上総一宮玉前神社の

社人が巫女舞、湯笹舞、猿田彦舞等から構成される十二座神楽と呼ばれる舞を奉納した

ものが地元の人々によって受け継がれてきたものです。

 

舞手が三方吹き抜けの神楽殿で、ひょっとこ、おかめ、狐面等を被って黙劇風に舞う、

いわゆる江戸神楽の流れをくむ舞で、毎年7月27日の祭礼の日に地元の氏子により奉納

されています。

 

 

また江戸時代後期の本社神主吉野重泰の記した 「 神楽書 」「 神前神楽祭事 」 等4冊の

神楽書も伝えられており、神楽とともに千葉市指定文化財となっています。

 

 

https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/kagurakagurasho.html

 

 

拝殿に向かって左に、多くの出羽三山の供養塔が建立されています。

 

 

 

 

 

供養塔と拝殿の間に天神社が鎮座されます。

 

 

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時代の変遷により南部都市整備公団の造成工事に伴い、広照寺所有地 ( 城ノ台 ) の

行人塚が移転の止むなきに至りました。 そこで移転先用地として八劔神社所有地

( 天神山 ) を氏子及び広照寺檀信徒協議の上、行人塚用地として使用することに合意、

天神山に移転建設されました。

 

この度、永代使用料として広照寺より左記金額を受納いたしました。

ここに刻み後世に伝えます。

 

一金九百二十六万八百四十二円也

 

平成十年二月十八日 八剱神社氏子一同

                                                ( 碑文 )

 

ずいぶん細かな金額です。 檀家の人々の寄附を集めたのでしょうね。

 

拝殿に向かって右に境内社が鎮座されます。

 

 

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古来から農民の守護神として南生村に点在しており、明治四十二年一村一社ということで

合祀されました。

氏子の皆様の天下泰平、五穀豊穣、無病息災をこの高台の五祀社が見守りつつ、村民一同

の幸せを願ったものと思います。

 

三祀社 伊弉諾尊 伊弉冉尊

妙見社

熊野社

道祖神

痘神社

 

平成十三年七月吉日

                                                    ( 碑文 )

 

庚申塔。

 

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。