京成千葉駅で京成千葉線に乗り換え、南東へ10分、学園前駅に到着です。

京成千葉線は20分に1本が走っておりますから、アクセスはそれほど悪くありません。

 

駅前はロータリーがあるだけで車は停まっていません。

駅前の交差点には信号機がありません。

 

 

派出所はあります。

 

 

駅から50mのところにある 「 スイミングスクールおゆみ野 」 には、垂れ幕が。

瀬戸選手は、このスイミングスクールのグループ 「 JSS毛呂山 」 に所属しているのですね。

 

 

学園前駅から東へ1㎞のところに、有吉日枝神社が鎮座されます。

 

 

 

小さな丘の上は広場になっていました。遺蹟公園といいます。

 

 

 

御神域の前に石碑が建立されています。

 

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有吉南貝塚

 

有吉南貝塚は、村田川が流れる谷からわかれた2つの谷に挟まれた標高約40mの台地の

上にあります。 大小8ヶ所の貝層が円形に連なった直径厄130mの馬蹄形の貝塚です。

近くには、北川厄200mのところに在り由北貝塚が有ります。

 

遺蹟の一部は、平成8年から平成13年にかけて(財)千葉県文化財センターによって

発掘調査が行われ、その様子が明かになりました。調査の結果から、ここには旧石器・縄文

・古墳・奈良・平安・中世と長い時代にわたって人がすんでいたことがわかりました。

 

中でも貝塚が作られた縄文時代中期後半頃 ( 加曾利E式期:約4500~4000年前 ) の

竪穴式住居跡厄60軒、焚火跡2ヶ所、貯蔵用に利用した穴 ( 小竪穴、土坑 ) 約300基、

柱の穴、 溝などの生活に関係した跡が見つかっています。

 

生活跡からは、当時の人が使っていた縄文土器や骨・牙・貝・石・土を焼いたものなどを

利用して作った斧・やじりなどの様々な道具や耳飾りなどの装飾品が出土しています。

この他には、人や犬・イノシシ・が埋葬された跡 ( 墓穴 ) なども見つかっています。

 

貝層の中にはハマグリ・アサリ・シオフキ・キサゴ・オキシジミ等の貝の他に鳥・獣・魚の骨

なども入っていました。

 

日枝神社境内と遺蹟公園のほとんどの部分は、そのままの状態で残され、遺蹟は保存

されています。このまわりで見られる白い貝殻は縄文人によって海からこの地に運び

込まれてきたものです。

 

平成14年3月 千葉市教育委員会

                                                ( 説明文 )

 

 

拝殿に向かって右に手水舎。

 

 

 

    

 

    

 

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有吉日枝神社

 

当神社の創建の年代については、当時の資料が無く不詳ではありますが、御祭神は

大己貴命 ( おおなむちのみこと ) と申しまして、出雲大社の御祭神の大国主命

( おおくにぬしのみこと ) の別名です。

 

大己貴命の大国主命の主な事蹟業績は、国土平定、国土経営および修理、農業保護、

禁獣法の制定などであり、また医薬、温泉の神でもあります。 古くから開拓の守護神であり、

五穀豊穣、農業・漁業の守護、航海・交通安全および学業成就、商売繁昌、家内安全、

厄除開運・勝運などいうまでもありません。

 

さらに縁結び、夫婦和合、安産・子育て、病気平癒から歌舞・音曲にまで、ご利益は

かなり広範囲におよんでいます。

 

                                            ( 境内説明文 )

 

多くの木々が無惨にも切られています。

 

 

 

拝殿に告知文が貼られていました。

 

 

昨年の台風が境内の木々を倒して周辺に迷惑をかけたため、今後の防災として住宅街に

近い残りの木々を切り倒したのです。温暖化の影響で、日本の近くで台風が発生し、大きな

勢力を保ったまま上陸する事があります。 

 

私は20年前まで台湾に住んでいたとき、何度も台風で自宅待機になりましたが、木が飛んで

いるのを見て、ぞっとしたことがあります。 台風が過ぎて街に出ると、自動車があちこちで

ひっくり返っていました。 これから、日本でもそのような光景を見る事になるかもしれません。

宮司は泣く泣く切ったのですね。

 

本殿の後方に出羽三山の石碑が祀られていました。

 

 

 

供養塚というのですね。

千葉県に鎮座される実に多くのお社に、出羽三山の供養塚がありました。

供養塚という言葉がわかりましたので検索しましたら、以下の文章が掲載されているHPに

辿り着きました。

 

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出羽三山 ( でわさんざん ) の信仰は、房総半島に広く信仰されている。

三山 ( さんざん ) を参拝した記念に、参拝者の持ち帰った梵天 ( ぼんてん ) ( オフダ )

を納めて上に塚を築いたものが供養塚 ( くようづか ) で、その上に供養塔を建てた。

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1242605100/1242605100100020/ht300180

 

石碑の下に梵天が納められているから供養塚なのですね。

しかし、この説明文では、何故千葉県で出羽三山の信仰が広まったのかはわかりません。

今後も千葉鎮座のお社を参拝していけば、きっとわかると思います。

 

供養塔には仏像も祀られていました。

 

 

こちらは浅間神社。

 

 

社殿に向かって右に境内社が鎮座されます。

 

 

左から、子安神社、大六天神社、三峯神社。

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。