JR小田原駅東口です。

 

小田原駅から100m、おしゃれ横丁の入口があります。

 

 

おしゃれ横丁は飲み屋街です。

 

 

この先20mのところに、北条四代領主氏政公とその弟の氏照公の墓所があります。

 

 

 

 

 

北条五代の墓所は早雲寺に在ると思っておりましたが、早雲寺に在るのは供養塔だそうです。

 

国道255線を南下していきます。

小田原市のマンホールには、富士山・小田原城・酒匂川を渡る人足が描かれています。

 

 

駅から400mのところに松原神社は鎮座されます。

 

 

 

    

 

 

参道の右に神輿庫があります。

 

 

 

拝殿に向かって右に手水舎。

 

 

 

拝殿の前に亀の石像が置かれています。

 

 

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吉兆の大亀

 

天文十四年 ( 1545年 ) 三月、小田原の海岸に現れた大亀を土地の者が当社に持参した

ところ、小田原北条三代当主氏康は、これを聞き、吉兆なりとて参詣し舞を奉納した。

 

果たして翌天文十五年、関東完了上杉軍八万の兵を、わずか八千の兵で見事に破り

( 河越夜戦 )、念願の関八州の平定に成功した。

 

この石像亀はその話に由来して作られた ( 製作年不明・頭部欠損 ) ものと思われ、

現在でも大亀の甲羅を撫でると、社運隆昌・心願成就・開運・勝利 ( 転じて試験合格 ) に

ご利益があるとされております。

 

                                              ( 境内説明文 )

 

 

 

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松原神社社誌

 

祭神 日本武尊    ( やまとたけるのみこと )

相殿 素戔嗚尊    ( すさのおのみこと )

    宇迦之御魂神 ( うかのみたまのみこと )

 

由緒

 

縁由及び創祀の記録は灰爈に帰して詳かではないが、古老の口碑に依れば近衛天皇

久安年間の勧請なりと云われている。 後醍醐天皇の頃当所に真鶴が棲み、故に

鶴の森明神と称したと云う。

 

後奈良天皇天文年間に山王原村松原の海中より十一面観音が出現、その託宣に依り

当社の本地仏として祀ったことから神号を松原大明神と称したという。明応四年北条氏の

小田原を治めるに当たり当社への尊崇宇頗る厚く鎮守として社領「一万石を寄せ、

氏綱、氏康等大事毎に必ず祈願した。 

 

天正十八年北条氏廃滅後、後水尾天皇寛永九年稲葉氏の領となっても亦、鎮守として

崇祀し、社費は悉く藩財を以って之に当てた。 霊元天皇貞享三年旧領主大久保氏が

封を再び此の地に受けた事に依り猶先規に従い鎮守として崇敬前代に劣らず代々

小田原の宿十九町の総鎮守とした。

 

明治二年松原神社と改称し、明治六年一月旧足柄懸に於いて懸社と定められ、

明治四十年四月二日神饌幣帛料供進神社に指定された。

 

祭 五月三日、四日、五日

                                            ( 境内説明文 )

 

 

 

 

拝殿に向かって左前に境内社が地運座されます。 鳶組合が寄進されているようです。

社殿の中は鳶の道具が納められており、倉庫にも見えてしまいます。

 

 

 

本殿に向かって左に 「 鳶消防記念会 」 の石碑が建てられています。

 

 

拝殿に向かって右前に境内社が鎮座されます。

左から、八幡神社。

 

 

左から、御社名不明、稲荷神社、手置神社。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。