御神徳:家内安全、厄除、事業繁栄、良縁、神体健全、等。
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東京タワーから南へ400mのところに、大江戸線:赤羽橋駅があります。
赤羽橋駅から西へ100mのところに架かっている中之橋。
上は首都高速都心環状線です。
左は住友不動産麻布十番ビル、右は麻布十番タワー。
そう、ここは麻布十番、と言いたいところですが三田一丁目です。
麻布十番は200mほど西ですが、「 麻布十番 」 という名前を使っているだけです。
「 三田 」 も印象の良い地名ですけど、「 麻布十番 」 は現代的ですね。
2つのビルの間を歩いていくと、元神明宮が鎮座されます。
中央にあるビルは、元神明宮の社務所 ( および神職の住居だと思います ) で、
一階は山車庫です。
丘に鎮座されます。
石段の左に境内社が鎮座されます。
御社名は記録するのを忘れてしまいました。またやってしまった...
狛犬の群れ。
後方には庚申塚がありました。
隣りに2つの境内社が鎮座されます。
左は御社名不明、右は権太夫大神。
左に手水舎。
手水舎の右に鎮座されるのは平河稲荷神社です。
右の丸いボタンを押すと、水が出てきます。
コンクリート製の社殿に昇るための階段が左右についています。
社殿は、社務所のビルと一体になっているようです。
昇ると、大きなガラスのドアがあり、入ると拝殿は木造でした。
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元神明宮 ( 天祖神社 )
御祭神 天照大神 ( あまてらすおおかみ )
相殿 稲倉魂命 ( うかのみたまのみこと )
水天宮 ( すいてんぐう )
御由緒
当社は平安時代の寛弘二年 ( 西暦1005年 ) 一條天皇の勅命により創建され、
古くは渡辺網の産土神として、又多くの武将等の崇敬を受けて来ました。
江戸時代に入り徳川家の命により、神社を飯倉神明 (旧) 芝神明 (現) 芝大神宮に
遷そうというところを、氏子崇敬者の人々が御神体だけは譲れないと昼夜交替で
護ったと伝えられております。 それ以後、地域の方々からは当社を 「 元神明 」 の
呼び名で親しまれて来ました。
関東大震災や東京大空襲・出征兵士等を多くの災厄から守った事から、近年では
厄除けのお社として全国の方々より崇敬されております。
「 天祖神社 」 は明治政府宇により定められた社号です。
当社は平成十七年九月で御鎮座1,000年になる古社です。
( 境内説明文 )
飯倉は首都高速のすぐ北側です。
芝は飯倉から300mほど北東にあり、、日比谷は芝から1.5㎞ほど北にあります。
皇居
日比谷公園
芝大神宮
飯倉
麻布十番 元神明宮
日比谷、飯倉に鎮座され、日比谷神明社・飯倉神明社とも呼ばれた芝大神宮は、
現在はJR浜松町駅近く ( 芝 ) に鎮座されます。
芝大神宮も、平安時代の寛弘二年 ( 西暦1005年 ) 一條天皇の勅命により創建
されたとされます。
芝大神宮
元神明宮の由緒を読みますと、
芝大神宮は、元々は元神明宮を遷座させようとしたが、氏子崇敬者が反対したので
遷座は出来なくて、元神明宮の御神霊を勧請した。
それで 「 元神明宮 」 と呼ばれた。
一方、芝大神宮は 「 勧請した 」 のではなく 「 遷座した 」 と理解している。
ということなのだろうと思います。
拝殿からの眺め。
以上。