愛媛県は、南予・中予・東予という3つの地域に分かれており、それぞれの地域に
七福神めぐりがあります。
中予は、松山市を中心にする愛媛県の中央地域で、「 伊予七福神めぐり 」 は中予の
七福神めぐりです。
神奈川や東京の七福神めぐりは、徒歩で巡る2~3時間、長くても5時間くらいの
コースが多いように思いますけれど、南予・東予の七福神めぐりはその地域を巡る
ため、自動車を使わざるを得ないコースになっています。
中予の 「 伊予七福神めぐり 」 は、7つの札所を結ぶと30~40㎞程度の距離に
なりますので、徒歩は難しいにしても自転車なら一日で巡れます。
おおまかな場所
JR三津駅
厳島神社 ( 寿老人 )
JR松山駅 出雲神社 ( 大国天 )
伊予鉄蒲田駅
長楽寺 ( 弁財天 )
伊予鉄いよ立花駅
JR市坪駅 伊予鉄見奈良駅
昌福寺 ( 布袋尊 ) 浄土寺 ( 福禄寿 )
文珠院 ( 毘沙門天 )
JR向井原駅 伊予稲荷神社 ( 恵比須神 )
それでは伊予七福神めぐりの御紹介です。
---
伊予稲荷神社からスタートして、北上するコースにしました。
伊予稲荷神社はJR向井原駅から徒歩15分の距離にあります。
私は、JR向井原駅から折り畳み自転車で巡ることにしました。
JR向井原駅。
駅舎は無く、高架橋みたいな駅です。
手前にある駅舎のような建物は、漫才ブームだったころ、西川のりおが開いたカレー店
でした。話題にはなったもののすぐに飽きられて閉店、今は骨董店になっています。
伊予稲荷神社の参道。
元日の朝8:00、参拝客はほとんどいらっしゃいませんでした。
前夜の紅白歌合戦は近年になく面白くて盛り上がりましたので、みなさんはまだ寝ている
のかな。
伏見稲荷大社から最初に御神霊を勧請して建立された伊予稲荷神社。
詳細はこちらです。
本殿に向かって右に、恵比須神社 ( 御祭神:恵比須神 ) が鎮座されます。
鳥居から眺めた参道。
次の札所の文珠院は、伊予稲荷神社から東へ10㎞のところにあります。
大谷池を通ると直線的に移動できるのですが、昔から幽霊のスポットとして有名です。
実は私も中学生の頃、友達と大谷池に遊びに行って写真を撮った時、集合写真の
10枚ほどに、着物姿のお婆さんが写ったことがあります。
お婆さんは無表情でしたが、写真に写ることを楽しんでいる雰囲気は感じられました。
だけど怖くて、それ以来大谷池には行った事がありません。
砥部町を経由する 「 大谷池迂回コース 」 で移動しました。
砥部町のマンホールには、砥部焼きの壺・茶碗・花差しやミカンが描かれています。
その後松山市に入りました。
松山市のマンホールには、中央に市の花のヤブツバキ、その周囲に伊予がすりの
「 井 」の模様が描かれています。
文珠院は、別格二十霊場の一つです。
四国で、八十八ヶ所霊場には属していない霊場 ( 弘法大師ゆかりのお寺や場所 ) は
300 を越え ( という微かな記憶がある ) 、番外霊場と呼ばれます。
50年前、20のお寺が参加してできた巡礼めぐりのコースが別格二十霊場で、私は一度
だけ巡礼に行っています。 八十八ヶ所とセットにして参拝するお遍路さんは多いです。
もう少し大きなお寺という記憶がありましたので、あれっ?という感じを受けました。
正面に本堂、左に鐘楼、本堂の右には毘沙門堂が続いています。
本尊 : 地蔵菩薩
ご真言 : オン カカカビ サンマエイ ソワカ
ご詠歌 : われ人を すくわん為の 先だつに みちびきたまう 衛門三郎
---
四国遍路開祖 文珠院
当院は、弘法大師が衛門三郎の子供の供養と共に悪因縁切御修法をなさった
四国唯一の有り難いお寺でございます。
本堂には大師が刻まれたご自身のお姿と延命子育地蔵尊を祀り、四国遍路元祖
河野衛門三郎の物語が記された、寛正時代の巻物も保存しております。
その昔は徳盛寺と呼ばれていましたが、弘法大師が文殊菩薩様に導かれて逗留
された後、文珠院と改められました。
昭和四十一年松山市久谷町植樹祭の際、天皇、皇后両陛下行幸にあたり、
故八木繁一博物館館長より、当院を四国八十八ヶ所発祥の寺院であると言上
なさいました。
当院の文珠菩薩さまは、お大師様をお導きなさったありがたい知恵の文珠さま、
勉学向上、受験合格祈願に各県からお参りに来ます。
本尊 文珠菩薩
地蔵菩薩
弘法大師
( 境内説明文 )
衛門三郎のお話しは、以下を参考にしてください。
衛門三郎①
衛門三郎②
衛門三郎③
毘沙門堂の前の線香立てには、狛犬がじゃれています。
毘沙門堂に対面した方向で弘法大師・衛門三郎・その妻の像が建てられています。
続く。