井関三神社は、龍野駅から北へ5㎞のところに鎮座されます。
「 井関三神社駐車場 」 の看板はあったのですが、社殿は見えませんでした。
畑の中に石燈籠が並んでいました。
 
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右の山の中に鎮座されているのだろうと思ったのですが、
 
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社殿はなさそうです。 振り返ると、
 
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鳥居の前を横切る小川は、清水が流れていました。
 
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太鼓橋からの眺め。
 
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左に手水舎。
 
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龍神様はお疲れの様子ですので、元気になっていただきましょう。
 
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絵馬殿。
 
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絵馬殿をくぐって拝殿へ。
 
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式内社 粒坐天照神社 ( 名神大 ) 論社 播磨国 揖保郡鎮座 
現社名 井関三神社 
鎮座地 兵庫県たつの市揖西町中垣内甲 
 
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井関三神社由緒記
 
一、御祭神
 
天照国照彦火明櫛玉饒速日命
           ( あまてるくにてるひこほのあかりくしだまにぎはやひのみこと )
瀬織津比咩命  ( せおりつひめのみこと ) 
建御名方命    ( たけみなかたのみこと )
武甕鎚命      ( たけみかづちのみこと、奥宮神社に斎祀 
 
二、由緒
 
当社の創建は今から凡そ二千有余年の悠久の昔にさかのぼる。
社伝に依れば人皇第代崇神天皇 ( 皇紀565年 ) 播磨国揖保郡亀の山に
天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座されたのが創りである。
 
その後時代の推移により本社がが亀の山より今の井関の地に遷座された年代と経緯
については諸説があり判明しない。 他方亀の山の社地には当時より武甕鎚命を祀り、
奥宮神社と称し殊に足利時代には亀の山城に築城の赤松領主の篤い尊崇を受け、
その後幾多の歳月をして現在に及んでいる。
 
瀬織津比咩命は中垣内の庄屋八瀬氏により、弘治元年山城国京都より勧請合祀。
建御名方命は、寛文十二年脇坂安政公が龍野城主として入城の際、信州飯田の
諏訪神社より勧請合祀。
 
これより井関三神社と称し前記三神と奥宮神社の一神を斎祀して幾星霜、平成の
御代の今日に至る迄連綿として御神威の広大無辺なる事を仰ぎ見るのである。
 
三、特殊祭礼
 
・十年祭 ( 開帳式 )
 
 十年毎に執行する式年祭で開帳式も同時に執り行う。神仏習合期の習俗を現在に
 伝えたもので神宮寺創建当時の三尊仏を開帳し、参詣者の拝観に供する。
 
・さいれん坊主白鳳時代
 
 毎年814日にタ刻より当神社境内で、また15日には恩徳寺境内で執行う。
 嘉吉元年の戦乱により亀の山落城の際に討死した赤松領主をはじめ一族の霊を
 弔うための盆供養である。
 現在この行事は龍野市の無形文化財に指定されていて、さいれん坊主保存会により
 祭礼の伝承がなされている。
 
                                           ( 境内説明文 )
 
社殿に向かって左に境内社が鎮座されます。
 
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左から天満神社 ( 菅原道真命:すがわらみちざねみこと )
 
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荒神社 ( 素戔嗚命:すさのおのみこと )、稲荷神社 (宇気持神: うけもちのかみ )
 
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これら境内社の左奥に、境内社が鎮座されています。
 
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御社名は不明です。
お賽銭箱にアオガエルが鎮座。
 
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拝殿からの眺め。
 
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以上。