二宮神社は、一宮神社から南東へ300mのところに鎮座されます。
生田神社から東へ500mのところになります。
二宮センター街。
左に手水舎。
手水舎の後方に聳える御神木の欅は、樹齢700年だそうです。
神戸八社巡り HP の記事を転載します。
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二宮神社 ( にのみやじんじゃ )
御祭神 天忍穂耳尊 (あめのおしほみみのみこと)
応神天皇 ( おうじんてんのう )
鎮座地 神戸市中央区二宮町三丁目1-12 ( 加納町3丁目交差点スグ東 )
市バス・JR三宮駅下車北へ
当社の御祭神は、天照大御神が素盞鳴尊と剣玉を交換した誓約の際にお生まれに
なった五男神の一柱で、天照大御神の御命令で、日本国の農作物がよく出来るように
努力された神であり、神功皇后の三韓からの帰途、巡拝された一社で、葺合の荘の
総氏神であります。
現在、中央区の各所におまつりされている八幡神社は、当社の御分霊神であります。
旧莵原郡生田村鎮守の厄除の守護神として奉斎。
御祭礼日 春 5月5日・6日。
秋 9月15日・16日
二宮神社にはHPがありますので、HPの記事を転載します。
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摂政元年 ( 201年 )、第十四代仲哀天皇の妻・神功皇后 ( じんぐうこうごう ) は、
九州の熊襲を平定した後、朝鮮半島に渡って百済、新羅、高句麗をも平定する三韓長征
を成し遂げました。
長征を終えた皇后一行は、大和国の玄関口である難波津へと向かいますが、その
途中で皇后は天照大神の御神託を受け、長田、生田 ( 以上神戸市 )、
広田 ( 西宮市 )、住吉 ( 大阪市 ) の四社を建立されました。
二宮神社の由来は、生田神社建立の際に、皇后が二宮神社をはじめとし、天皇家に
ゆかりの神々を祀る八社を巡拝されたことにさかのぼります。 皇后の参拝順に従い、
一宮から八宮までの呼称が生まれたといいますから、史実に従えば二宮神社の歴史は
1800年以上に及ぶと考えられます。
また、貞観年中 ( 859~877年 ) に、当時生田神社のあった砂山 ( いさごやま
・新神戸駅の裏山 ) が大水害にみまわれ、現在の地に御社を築く間、二宮神社で
生田神社の神様をお祀りしたと伝えられており、当社境内の拝殿近くには、生田神社の
御神体を奉安したとされる 「 御幸石 」 が現存しています。
明治時代には、旧葺合区(神戸市)内の全神社を合祀し、葺屋壮総鎮守を冠していました。
拝殿に向かって右に小さな参道があり、その先に稲荷神社と椋白龍社
( むくのきはくりゅうしゃ ) が鎮座されます。
稲荷神社。
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稲荷神社
御祭神 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
この神社は、江戸い時代の末に京都の伏見稲荷大社の神様をお祀りしたことに始り
ました。
神社が建立された当時、二宮神社の門前には大きな花街があり、たくさんお料理屋
や茶屋が軒を連ね、笛や太鼓・三味線の音が朝から夜更けまで鳴り響いていましたが、
大東亜戦争により大いに賑わった花街はここに幕を閉じました。
しかし、今日でもお商売をされている方々や芸能者・芸術家からの信仰は篤く、毎日
一日・十五日には、多くのお参りがあります。
また、最近では縁結びの神様として、特に若い女性がグループで参拝する姿が
見受けられます。
( 境内説明文 )
椋白龍社。
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椋白龍社
御祭神 白龍大神
この神社は、昭和30年に創建されました。
この神社をお祀りするきっかけは、二宮神社の鬼門を守る白蛇が夢に現れ、
「 社を建て祀ってくれれば天界に昇り龍となり、人々の願いをかなえよう。」
といっているとの話が相次いで神社に寄せられ、時を同じくして参拝者より椋木に
白蛇がいたという声が寄せられました。
そして遂には、手水舎改修鵜工事の際、宮司をはじめ工事関係者の目前にも白蛇
が現れたことから、これは夢に従うべきとして椋木の袂に社を築きました。
その後、多くの祈祷しや風水師がこの神社を訪れ、現在では全国各地の信奉者より
聖地と崇められています。
また、龍神様が水を司る神であることから、水商売の神様として飲食業に携わる
方々の参拝が非常に多いことも大きな特徴です。
( 境内説明文 )
稲荷神社の拝殿からの眺め。
以上。