徳威神社は、いよ小松北ICから1㎞ほど帰途の所緒に鎮座されます。
 
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右に手水舎。
 
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手水舎からの眺め。
 
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旧社格は県社。
 
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社伝によると顕宗天皇の三年 ( 478 ) 阿閉臣時代の創祀と伝えられている。
祭神は大日霊貴神・高産霊神・神産霊神・月夜見神・応神天皇・豊受姫神・武内宿祢
である。
 
古くは、徳威神明宮と云っていたが、平安時代の元慶三年、応神天皇を勧請してより
徳威八幡宮または吉田八幡宮と号した。 また南北朝時代、南朝方の軍勢催促のため
伊予に来られた日野中将が徳威八幡宮に参拝したことから勅使八幡宮の名が起こった
といわれている。
 
戦国時代、石根の剣山城、黒川肥前守元春は産土の神崇め毎年米80石を寄進したり、
参内城主黒川通尭は天文六年銀円鏡一面・太刀一振を奉納している。また、天文六年
五月には、黒川民部小輔重親と黒川通尭が拝殿を造営している。
 
その後秀吉の四国征伐によって剣山城の落城、黒川氏の滅亡によって大旦那の支援を
失って社運も衰えた。
 
時が流れ寛永十三年小松藩の成立によって初代藩主一柳直頼は徳威神社を再興し
郡内総鎮守と崇めた。 源頼義伊予の国守の時代、干魃の時雨乞い祈願を神社に
命じた所瑞雨を得たので、350貫の土地 ( 70町歩 ) を寄進して次の和歌を献じている。
 
天の下 治まる社の 徳威にて めぐみへだてぬ 神ぞこの神
 
社宝に小松藩三代藩主一柳直卿 ( ひとつやなぎなおあきら ) 公の神号一幅と
神像彩色絵と市指定文化財の扁額、和光同慶と八幡宮がある。
 
平成二十六年十二月吉日  周布 ( すふ ) 地区文化財保護委員会
                                             ( 境内説明文 )
 
拝殿に向かって左前に境内社がずらっと鎮座されます。手前は明神社。
 
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大塚神社。
 
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猿石神社。
 
和霊神社。
 
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宇佐美家一統霊社宮。
 
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社殿が囲われた境内社が続きます。 御社名は不明です。
 
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御神木、千年杉。
 
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神代の昔に生を受、世のうつり変わる姿を知りつくした千年杉は古木となりても尚健在
不老長寿の御神木です。 私達の願を広く叶えてくれます。
 
千年杉保存会
                                           ( 境内説明文 )
 
日本史でも習う前九年の役、源頼義公・子の義家公は東北阿倍氏を滅ぼし、源氏の地位
を確立します。 頼義公は伊予国守に任じられますが、ほとんど伊予に住むことなく
退任されますが、ここに伊予国守として足あとを残しています。
 
拝殿の左に鎮座される闇罔神社 ( くらみつじんじゃ )
御祭神 闇罔象命 ( くらみずはのみこと )
     闇龗命  ( くらおかみのみこと )
     闇山祇命 ( くらやまつみのみこと )
 
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日本書記によれば、伊邪那岐尊が加具土命を切って、剣からしたたり落ちた血から
お生まれになった神が闇龗命、続いて闇山祇命、続いて闇罔象命
これら水の神々が火の神である加具土命の血からお産まれになるのか、私には
さっぱりわかりません。 勉強しないといけません。
 
本殿。
 
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拝殿からの眺め。
 
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以上。